山頂に立った喜び

随想10
鎌野健一
 
元旦に「追儺の式」が下唐櫃山王神社で執り行なわれ、弓打ちの神事があり、今年の宮当番の人が選び出された。
節分の日には、今年の豊作を祈願する儀式「東天紅の式」が執り行なわれた。去年は参加させていただいたが、今年は風邪を引き残念なことに参加できなかった。
2月11日、多聞寺では源平時代から続いている「お塔の式」が古式豊かに持たれ、塔人の交替の儀式が行われた。
前日より男の人の手だけで準備された、大豆のだし汁に輪切りの大根や里いも、三角焼き豆腐を煮た「うわふき」、大豆のだし汁にゆで豆、さいころ大根、輪切りごぼうを煮た「ぞうかん」。それぞれは、さんしょ、とうがらしで味付けられ、塔人に振舞われる。
午後からは、餅が撒かれ、護摩が焚かれ、火渡りがあり、多聞寺の一日の儀式が終わる。
 
この寒い季節、唐櫃は古くから伝わる様々な儀式が続く。唐櫃に住む人々の今年一年の幸せと、農作物の豊作を祈願して執り行なわれる。古の人々の温かい思いを感じる。
 
6年生のキャンプが1月21日、22日、23日と摩耶山にある「自然の家」であった。私も子供たちと行動を共にした。
一日目、布引から摩耶山頂まで登った。3000を越す石段が続く。子供たちや若い先生方は、とても元気がいい。私だけが集団から離れ、その差は開くばかりであった。
途中、せっかく登り切ったのに、下りの箇所があった。
「せっかく登ったのに、なんで降りるんや。」と文句を言うほどの疲れようだった。
中腹から、なお急な登り坂が続く。米満先生が
「校長先生、ここからロ−プウェ−に乗ってください。」
と温かい言葉。子供たちも
「ロープウェーで行き、楽やで。」
と言ってくれる。私の頭の中に一瞬「ロ−プウェーで行こうかな」よいう思いが過ぎった。
 
その時に、レーナ・マリア・ヨハンソンさんの一つの言葉が浮かんだ。
「たとえ苦しい試練があったとしても、良いことしかなさらない神さまは、それをすばらしい恵みへと変えてくださることを、私は知っています。だから私は、今日というこの一日を生きていくことが喜びで、うれしくてならないのです。」彼女は、朝日テレビニュースステーションで紹介されたが、生まれた時から、原因はわからないが、両腕がなかった。左脚も右脚の半分ぐらいの長さで、左脚には義足をつけている。
しかし、そのようなハンディは彼女にとっては障害でも何でもない。自動車の運転もする。水泳も、料理も大得意である。彼女は今、両親のもとを離れひとり暮らしをしている。
彼女の屈託のない笑顔と輝きが浮かんだ。
 
私は山頂に最後に着いた。子供たちは上から私に励ましの声をかけてくれた。摩耶山頂から美しい神戸の町を見た。今までに味わったことのない喜びであった。
 
とても寒い「自然の家」でのキャンプであった。でも。心は喜びで満ちていた。


編集後記
2月の第二土曜日の休業日に、唐櫃の里に大雪が降った。10年振りだそうである。今日になってもまだ運動場の雪は消えない。唐櫃の冬の厳しさを感じる。この時期にいろいろな古くから伝わる儀式が唐櫃にある。唐櫃に住む人々のすごさに感動する。 (鎌野)
神戸市立唐櫃小学校学校だより「校長室の窓からやまびこ」1995年2月21日発行2月号より