校長室だより

美(うる)わしき唐櫃 ー感謝に代えてー

ー随想 23ー 最終号 四度、唐櫃の春を迎えた。厳しい冬を耐えた唐櫃の春は美しい。希望に満ちている。新しい命の息吹きが唐櫃にあふれる。 激動の平成7年の幕開けだった。誰も予期できない状況の中で3か月を終えた。 私がこの唐櫃の地に赴任したのは3年前…

父の涙 ー私を支えてくれた人ー

ー随想 22ー “やまびこ”21号の編集も終りに近付いたある明け方、私は何年か振りに父の夢をみた。 父は、静かに口を開き「よかった、よかった、よかった」と言ってくれた。内容は何も覚えていないが、この言葉だけは、今でも耳から離れない。 そのせいか、…

 復興の槌(つち)音高くー甦れ、美(うる)わしの神戸ー

−随想 21− 「我が愛する神戸のまちが、壊滅に瀕するのを、私は不幸にして三たび、この目で見た。水害、戦災、そしてこのたびの地震である。大地が揺らぐという、激しい地震が、三つの災厄のなかでも最も衝撃的であった。 私たちは、ほとんど茫然自失のなかに…

がれきの中から立ち上がれ、涙をこらえて ー随想 20ー

平成7年1月17日未明午前5時46分、激しい振動で目が覚める。地震だ。棚の上から物が落ちてくる。非常に大きな地震だ。10秒、20秒縦ゆれから横ゆれに変わる。一体なん秒続いたであろうか。 すぐに2階、3階にいる子供たちの安全を確かめにいく。真…

力の限り 随想17

鎌野健一 夜来の雨も止み、すっきりとした秋空が広がっていた。 朝の4時頃に、たたきつけるような雨が降ってきた。夜中の雨は、きっと朝にはには止むだろうという気持ちでいたが、早朝の雨には驚かされた。しかし、その雨も5時過ぎには止み、青空をのぞか…

子供のよさを見つめる随想15

鎌野健一 6月の終わりからプール水泳の指導が始まった。 昨年は、天候不順のため、気温も水温も低く、ほとんど水泳の練習ができなかったが、今年は、最初から25度を越す水温があり、気温も高く、気持ちのよい水泳練習が行われている。 子供たちも、毎日の…

ホタルの飛び交う里に随想14

鎌野健一 6月19日、日曜参観の夜、恒例の「唐櫃のホタルを観る会」があった。当日は気温が低く、風も強かったため、ホタルが飛び交う姿は多く観ることはできなかった、しかし、300人近い参加者が集いホタルの生態を学び、自然に恵まれている唐櫃のよさ…

緑満ち清水湧く唐櫃

随想13 鎌野健一 18日にPTAの人たちと古寺山に登った。真っ青な五月晴れ、若葉のかおりが辺り一面に満ち、私の胸をいっぱいにしてくれた。上唐櫃の今井さんに道案内をしていただき、うっそうとした杉木立ちを通り抜け標高637mの頂上まで登った。途…

三度迎えた唐櫃の春

随想12 鎌野健一 昨年の入学式は、雨風が強かったため、桜の美しさも見ない間に終わってしまった。しかし、今年の入学式は八分咲きの桜の下、喜びに満ちた1年生を迎えた。きらきらとした子供たちの顔がまぶしかった。桜の下で記念の写真を撮る子供たち、お…

よろこびに満ちた唐櫃の春

随想1 鎌野健一 唐櫃の春は美しい。 厳しい冬の寒さに耐えて、新しい芽を萌えだす春。厳しい寒さに耐えた者だけが味わうことのできる喜びである。 昨年の冬は、今売り出し中の神戸ハーバーランドにある学校にいた。都会の真ん中にいるため、いつ冬になった…

卒業に思う

随想11 鎌野健一 3月6日、私は、唐櫃小学校昭和29年度卒業40周年記念同窓会に招かれた。当時の恩師溝下宏先生、吉安実先生、養護の和田幸代先生以上3名も元気なお姿を見せられた。総員21名、実に意義深く、素晴らしい時であった。 この日集った人た…

山頂に立った喜び

随想10 鎌野健一 元旦に「追儺の式」が下唐櫃山王神社で執り行なわれ、弓打ちの神事があり、今年の宮当番の人が選び出された。 節分の日には、今年の豊作を祈願する儀式「東天紅の式」が執り行なわれた。去年は参加させていただいたが、今年は風邪を引き残念…

生きる美しさ

随想9 鎌野健一 今年のお正月は暖かかった。気持ちのよい三が日であった。3日に、私は少し太り過ぎた体重を減らすために、標高340mの高取山に登った。(唐櫃小学校の標高が346mだからそれ程高くはないが)南に広がる神戸の港、そして神戸の町々、…

自然と共に生きるよろこび

随想8 鎌 野 健 一 雲一つない秋晴れの開校120周年記念日の朝であった。 前日の土曜日は、真黄色に色づいていた学校前の銀杏並木の葉も全部散ってしまう程のひどい雨風であった。運動場での記念の集いを計画していた私たちに、一抹の不安が過ぎった。し…

唐櫃が好き

随想7 鎌野健一秋晴れの体育の日、上唐櫃山王神社の秋祭りがあった。 秋の収穫の喜びをみんなで喜び合うお祭りである。何年か前は収穫が終わった10月26日であったそうであるが。 今年は稲の収穫がもう一つであったようだが、その分、山の幸の収穫がよか…

「ほめる」とは全身でよろこぶこと

随想6 鎌 野 健 一 雲一つない秋空の下、開校120周年記念運動会が開かれた。 夏から続いた天候不順のため、十分な練習はできなかったが、子供たちは「もえろ、かがやけ」をスロ−ガンに練習に励み、開校120周年にふさわしい運動会が開かれたことは、と…

3つの校門

随想5 鎌野健一 唐櫃小学校には、校門が3か所ある。そのいずれも、その門それぞれに顔を見せてくれている。 唐櫃台駅の方から入ってくる西側の門、そこには、樹齢60年以上もあるような大きな桜の木がある。新学年の喜びいっぱいで迎える子供たちに、幸せ…

朝の出会い

随想4 鎌野健一 昨年の4月、私が校門に立ち始めたばかりの頃だった。 神戸北高校の一人の女生徒が私に 「おはようございます。」 と気持ちのよい挨拶をかけてくれた。すがすがしい気持ちであった。私もその思いを込めて「おはようございます。」と返した。…

朝のよろこび

随想3 鎌野健一 初夏の朝はここちよい。山の木々の緑が目に映える。少し冷気を含んだ空気が頬をなでる。勤めに急ぐ人々、学校に通う学生たちが笑顔が光る。 朝、校門に立って1年2か月、子供たちとの出会いが待ち遠しい。 「おはようございます」でスタ−ト…

生きる喜び

随想19 鎌野健一 「私は生まれてからずっと見るということを経験せずに今日まで きました。生まれて6か月、未熟児網膜症であるというふうに診断を受けました。それは大阪の阪大病院でした。主治医の先生は、今の医学では残念だけれど、もう視力が回復すると…

忘れらない恩師

随想18 鎌野健一11月14日の朝、「唐櫃が好き」の歌声が唐櫃の山々にひびいた。子供たちの表情も明るかった。「大人になっても忘れない そんな唐櫃がぼくは好き」と歌う子供たちの眼は光っていた。「大人になっても忘れない そんな唐櫃が君も好き」と歌う…

父の涙

私を支えてくれた人 随想 22 校長 鎌野健一“やまびこ”21号の編集も終りに近付いたある明け方、私は何年か振りに父の夢をみた。 父は、静かに口を開き「よかった、よかった、よかった」と言ってくれた。内容は何も覚えていないが、この言葉だけは、今でも耳…

母の手

随想2 校長 鎌野健一今年も母の日がきた。 私の母が天に召されて10年目を迎える。母の日がくるたびに、なつかしさがこみあげてくる。そして、いろいろな思い出が浮かんでくる。幼い日の一日一日が瞼ににじむ。母は、明治の終りに、新潟の貧しい寒村で生ま…

あの夏の日から49年

49年前の8月15日も、今年のように暑い日だった。雲一つない夏空が広がっていた。太平洋戦争中、日本に天気予報はなかった。空の情報は軍事機密だったのである。その日、日本の空は必ずしも青空ばかりではなかったという。北海道、東北の一部は曇り、また…