緑満ち清水湧く唐櫃

随想13
鎌野健一

 18日にPTAの人たちと古寺山に登った。真っ青な五月晴れ、若葉のかおりが辺り一面に満ち、私の胸をいっぱいにしてくれた。上唐櫃の今井さんに道案内をしていただき、うっそうとした杉木立ちを通り抜け標高637mの頂上まで登った。途中に平地がある。そこは、寺の跡らしい。また頂上近くにも、頂上から少し下りた所にも平地があり、そこも寺坊の跡らしい。400年前まで多聞寺があったというだけあって神秘的な感じがする。
 頂上には大きな岩があちこちにあった。頂上から少し西に下りた所に、平清盛が夕涼みをしたという岩、修行岩がある。そこから見る展望は実に壮大である。お母さん方はしばらく展望の素晴らしさに見とれられていた。
「30年前は、この辺り一体は田畑と山でした。」と今井さんが言われた。その当時の様子は想像できないが、自然の美しさにしばらくたたずんでいた。
 そこで、お弁当を食べた。大きなおにぎりを4つも平らげた。そこで食べるおにぎりは実においしかった。
 帰りは行者道から下山した。途中、矢竹がうっそうと茂っていた。長さが30cm、幅が10cm近くもある矢竹の葉もあった。昔は、ちまきを作るための葉をここまで取りに来たのだという。
 行者道だけあって狭くて険しい坂道である。そこを滑り滑り下っていった。少年時代、多くの友達と山登りをした記憶が甦ってきた。懐かしさにしばらくたたずんだ。
 木の上から、長さ1mもあるかと思われる蛇が私たちを見送ってくれていた。
 一人一人のお母さんの満足した顔、とても若々しかった。
 その顔が曇ったのは、帰り道だった。奥山川の上流、逢山峡に来た時だった。山と積まれたゴミを見た時だった。
「まだまだ多くなるのですよ。」と一人のお母さんの声は寂しげだった。
 素晴らしいPTA行事「古寺山を登る会」であった。このような行事が今後も計画されという。とても楽しみだ。
 
 唐櫃には古寺山を囲むように流れる唐櫃川、そして奥山川がある。それに、逢ケ山と高丸山の間を流れる水無川とがある。それらの源流は、六甲の山々から湧き出る清水である。それは、人々の喉を潤す。その清水でコーヒを沸かすと色まで違う。清き流れに子供たちは遊ぶ。
 六月も中旬の声を聞くと、この川沿いにゲンジボタルの乱舞する。私の幼き頃を思い出すのにこと欠かない。
 ところが、最近ホタルの数が減ってきた。宅地造成、河川工事、道路工事等が行われ、川の汚れが気になる。間もなく東山橋の側か阪神高速のトンネル工事も始まるという。早速、唐櫃の環境をよくする会、PTA、そして学校が一体となって阪神道路公団にお願いにいった。私たちの要求を快く受け入れて下さり、ホタルの環境を守ることを重点に工事をしていく確約をいただいた。うれしいことである。
 それだけでは不十分である。川を汚さないことが何より大切である。
 5月の初め、子供たちに奥山川を守る標語やデザインの募集をした。全校生のほとんどの子供たちはそれに参加した。子供たちの意気込みに感動した。
 どの子供たちも、この美しい唐櫃の川を守ろうという気持ちが表れた標語、デザインだった。1年生のかわいい「ホタルがたのしくすめる川にしてね」というのもあった。
 沢山の標語の中から2年生の福井景子さんのが選ばれた。
 「すてないで ホタルがなくよ こわがるよ
        すてないで ホタルのおうちが なくなるよ」
 また、デザインは5年生の山崎真依さんの作品が選ばれた。
 入選した標語とデザインは看板にして、下の川橋の側に立てられる。これには、唐櫃の環境をよくする会からの援助もいただいた。また、唐櫃のあちらこちらにもこの標語を貼りたいという願いもある。
 子供たちのこの熱意にPTAもじっとはしていられず、河川清掃をしたり、草刈りもしたりしたいと、ゲンジボタル保護育成活動に積極的に協力してくださるとのことである。その委員のメンバーも募集されつつある。
 このように、学校と保護者そして地域と一体になった活動が進められようとしている。そのいずれも、唐櫃の自然を守ろうという思いが、熱意が感じられる。ここに生きる子供たちもこれに応え、唐櫃を愛する心をいっぱいにしていくことだろう。
 PTAの行事である「ホタルを観る会」が今年も計画されつつある。芝さん(唐櫃小学校PTA会長)が、「この会もいつまで続けることができるでしょうね。」と寂しげに言われた。ホタルの住家である川が、だんだんと汚されつつあるという。これをなんとかしなければならない。ますます、私たちの活動を活発にしていかなければならないと痛感した。
 そこで、本校では、奥山川のゲンジボタルを人工飼育をやっていこうという取り組みを5年生を中心として学習の中に組み入れ、推し進めようとしている。また、本校にできたビオトーブ(人工の小川)を利用し、通年飼育にも取り組んでいきたいと願っている。人工飼育したホタルの幼虫を奥山川に放流し、もっともっとゲンジボタルを増やしていきたいという計画である。専門家はだれもいないが、なんとか成功させたいという願いをもっている。もし、地域に専門家がおられたら、是非ご指導をいただきたい。
 
 間もなくホタルの季節である。
「ほう ほう ほたるこい  あっちの水はからいぞ
      こっちの水はあまいぞ  ほう ほう ほたるこい」 子供の頃に、竹箒を振り回しながら、ほたるを追っかけたこと。ほたる捕りに夢中になり、川にドボンと飛び込んだこと。捕ったほたるかごに入れ、蚊帳の中に吊り下げほたると共に眠りについたこと。その一つ一つが走馬燈のように私の前に浮かんでくる。
 自然に満ちあふれたこの唐櫃を、いつまでも緑満ち、清水湧く地にしていかなければならない。
 今を生きる、私たち、大人に課せられた課題は大きい。
 
編集後記
 18日にお母さん方と古寺山に登りました。
「古寺山には約400年前まで多聞寺が建っていたというが、約4 00年前といえば足利幕府の末期、13代将軍義輝が三好、松永 らに殺されたあと14代義栄が立つまで2年間ほど将軍欠の時代 であった…その頃にあたる。が、多聞寺が山を下りた真の理由は 何か?多聞寺が下りたあと、山頂内には何が残っていたのか?」
 これは、昭和49年5月19日、芝晃さんの案内で12人の会員の有志と共に古寺山に登られた杜山悠さんの記録の一文です。(上唐櫃尾下隆男さん提供 第84回ふるさとを語る会テキストより)
 その頃の山頂は「頂上の行者岩に立つと360度の展望がきく。」と書かれていますが、現在は木々が茂っているため、見晴らしが悪いのが残念です。その行者岩は今も頂上にあります。まわりの木々がなければ、きっとその当時のように360度の展望がきくことでしょう。
 また、頂上近くには、池の跡、土塁らしきもの、柱の礎石、井戸跡などがあるといわれています。是非もう一度専門家の方と一緒に登ってみたいものでです。
 私の手元に、古寺山の案内地図(昭和49年のものですが)あります。必要な方はお知らせください。
 「やまびこ」13号を、5月の中旬に発行できるように準備を進めていましたが、なかなか思うようにできず、発行が大変遅くなってしまいました。でも、5月中に発行ができ、ほっとした気持ちです。また、感想などをお知らせください。投稿をお待ちしています。
(鎌野)
 
神戸市立唐櫃小学校学校だより「校長室の窓からやまびこ」1994年5月30日発行5月号より