美(うる)わしき唐櫃 ー感謝に代えてー

 ー随想 23ー 最終号
               
 四度、唐櫃の春を迎えた。厳しい冬を耐えた唐櫃の春は美しい。希望に満ちている。新しい命の息吹きが唐櫃にあふれる。
 激動の平成7年の幕開けだった。誰も予期できない状況の中で3か月を終えた。
 私がこの唐櫃の地に赴任したのは3年前であった。その日も校門の桜は私を暖かく迎えてくれた。喜びに枝をふるわせ、花びらを私に振りかけながら。
 あれから、3年。美わしき唐櫃は、日日新しい喜びを、季節ごとの感動を私に与えてくれた。原色豊かな春、もえぎ色から緑にあふれた夏へ、真っ青と真っ白におおわれた夏、紅色から黄色と日に日に移り変わりをみせる秋。真綿の装いの冬。
 真っ赤な頬の子供たちが、毎朝いっぱいの笑顔を見せてくれた。はにかみ屋のあの子も、いたずら好きのこの子も「おはようございます」と弾んだ声を聞かせてくれる。つかれがたまり、気迫がない私に「校長先生、風邪ひいたん。はよう元気になってね。」と声をかけてくれる。いつも初めはチーを出す男の子、パーが大好きな女の子、みんなジャンケンが大好き。勝った時は「やったー」とにこっと笑顔。負けて時は「もう一回しよう。」と再度挑戦してくる。 勤めに急ぐ地域の方々も、犬と一緒に唐櫃の朝を楽しむご高齢の方も、賑やかな神戸北高校生も「おはようございます」と声をかけてくださる。お母さんに手を引かれて保育所にひきずられていく幼い子供たちバイバイと手をふってくれる校門の朝。
 これら全てが美わしい。

 赴任した年の春、私は唐櫃を歩いた。上唐櫃から唐櫃台、そして下唐櫃、畑山、水無川まで。いろいろな碑、石神さん、ご神燈、道しるべが点在している。その一つ一つに歴史が刻み込まれている。田畑が広がり、小川には澄み切った水が流れている。有野川、奥山川には小魚が泳ぐ。川土手には、畦には可憐な花が、みずみずしい草木が生えている。唐櫃全体が学習の場である。
 2年目、唐櫃の山々を歩いた。この辺りしか生えないアリマウマノスズクサを見つけた。木々の香りが胸にみちる。頂上からみる唐櫃は、私の生れ故郷を彷彿(ほうふつ)させる。山々に抱かれた唐櫃、温かさがこみあげる。
 初夏には奥山川でホタルと乱舞する。昨年の初夏、有野川にもホタルが乱舞するのを見た。5年生の手で去年の11月、ホタルの幼虫を放流する。今年の初夏が楽しみだ。
 下唐櫃の山王神社立春を祝う「東天紅の式」、毎年2月11日に行われる多聞寺の「お塔の式」古式豊かで好きだ。残念なことに今年は地震騒ぎで見れなかった。上唐櫃の秋祭りも収穫の喜びが満ちあふれている。
 唐櫃の自然や行事、これら全てが美わしい。

 保護者そして地域の方々も美わしかった。
 開校120周年の記念行事、学習冊子「唐櫃」の発行。神戸一立派であるとの評判である。前日は大雨で運動場で行う予定の記念式の開催が危ぶまれたが、当日は快晴、清々しい秋晴れの下、素晴らしい式典だった。参加された多くの方々が感動された。費用はすべて地域や保護者の方々の廃品回収の収益金からであった。おまけに、長年の課題であった、唐櫃小学校同窓会の設立も成し得た。それだけではない、学校施設開放研究発表もすることができた。教育長から直々にお褒めの言葉をいただいた。

 教職員も美わしかった。
 昨年の6月教職員のバレーボール大会が終わった後、一人の教員が「今年が最後や。みんな頑張ってテニスの練習をしようや。そして、優勝するんや。」とみんなに呼びかけた。戦力的には前年度の方が整っている。しかし、すべての力が結集して北神地区の教職員ソフトテニス大会で見事優勝を成し得た。
 本校の地域学習や環境教育も認められている。残念なことに入賞はできなかったが第10回時事通信社「教育奨励賞」候補校に神戸を代表して推薦された。
 それだけではない。コンピュータ教育は神戸市の先端を走る。地震がなければ、研究会を全市に公開できるはずだったが。できれば来年度早々にでも公開されるかも。
 すばらしい教職員の方々だ。

 子供たちも美わしいかった。
 毎朝の子供の笑み、私をいつも元気づけてくれた。私の長い朝会の話もよく聞き、うなずいてくれた。全ての子供たちが、私を支えてくれた。3月20日、最後の朝会が終った。「これで、今年度の朝会の話を終ります」と語った時、感動で言葉がつかえた。
 少年団、小体連活動、多くのスポーツ活動に子供たちは、そのよさを発揮してくれた。ただそれだけではなく、福祉活動に唐櫃の子供のよさを見せてくれた。神戸市教育委員会より「あなたがたの善行をたたえます」と賞をいただいた。
 すばらしい子供たちだ。

 「岸のために川が流れているのではない。川のために岸がある」という東井義雄先生の言葉が浮かんだ。
 私がここに赴任したが、このような素晴らしい3年間の歩みができたのは、地域の方々、先輩の校長先生をはじめ多くの先生方、そして今、共に歩む諸先生方、それにPTA会長をはじめ役員、理事そして保護者のみなさんなど多くの方々が整えてくださったからなのだ。それゆえ、川がよどみなく流れることができたのだ。


 今、私は唐櫃小学校の3年の歩みを終ろうとしている。それだけでなく、私の38年間の教員生活の終りを告げようとしている。我が息子があの大震災が起こった後で「お父さん、素晴らしい卒業記念やなあ。頑張りや、へこたれたらあかんで。」と言ってくれた。 今、私は、素晴らしい卒業記念を残して美わしい唐櫃を去る。
 「大人になっても忘れない、こんな唐櫃がぼくは好き」大声で歌い、多くの感動を胸に、多くの感謝を抱き、新しい道に進む。

          編 集 後 記
 校長室の窓から「やまびこ」もこの号をもって最終号といたします。多くの先生方や保護者の皆様のご協力を得て、ここまで発行ができたこと、本当にうれしく思います。
 自分勝手なことばかり書き続け、気にさわったこともあるのではないでしょうか。どうぞお許しください。
 私の38年の教員生活、その最後をこの唐櫃で迎えることができ、私は本当に幸せ者です。心よりお礼申し上げます。
 大震災後の神戸、やるべき課題は多くあります。そんな時に去るということは心苦しいです。皆様のますますのご活躍を祈りつつ、筆を置きます。ありがとうございました。 1995年3月31日