朝会の話 54 温故の園

 
 おはようございます。
 先週月曜日から土曜日まで、5年生の子はあけのべ自然学校に行ってきました。そこは、今から6年前までは明延小学校だったのです。ところが、今から10年前から子供の数がだんだん少なくなり、6年前には子どもの数がわずか11名だけになったそうです。そのため、昭和63年3月に71年間の歴史を閉じたそうです。この学校は、山の中にある小さな学校でしたが、かつては800名を越す子どもの数で大変大きな学校だったそうです。
 唐櫃小学校も今から25年前は、どの学年も1学級しかなかった小さな学校でした。でも、この前もお話したように、木造の校舎でしたがとても立派な学校でした。
 ところが、唐櫃台に家が建ちはじめ、子どもの数がだんだん多くなったのでこの唐櫃台に校舎が建ったのです。一時は今の2倍を越す1200名子供の数だったのです。
 校舎は建ったのですが、校舎の周りには何もなかったそうです。上唐櫃にあった学校には沢山の木がありました。そこで、旧唐櫃小学校にあった沢山の木をこの新しい学校に植え代える計画を上唐櫃や下唐櫃の林産組合の方々がして下さり、この学校に植え変えてくださいました。これが、この校舎の前や南門の入口や、西側の斜面にある木なのです。
 この前も教育委員会の人がこられましたが、「この学校はまだ25年しか建っていないのに、立派な木がありますね。」とおっしゃていました。
 しかし、全部は植え変えることができなくて、唐櫃中学校にも唐櫃小学校にあった大きなヒマラヤ杉が植えられています。
 植木は10年や20年で立派にはなりません。30年40年あるいは70年80年もかかって立派な木になります。
 この60年70年前から唐櫃小学校で勉強した多くの人たちのこの温かい思いを大切にしたとの思いから、このあたりの庭を温故の園と名付けてくださいました。それを刻み込んだ石が庭の一番西にあります。一度見てください。
 今日は、温故の園の話でした。1993年10月25日