朝会の話 51 秋の運動会はじめの話 燃えろ、輝け

 おはようございます。いい秋晴れの天気になりましたね。
 今年の秋は、夏から続いた雨の多い天候の日々でしたね。運動場の改修の工事も遅れ、十分な練習ができませんでしたが、皆さんが代表委員会で決めて、運動会のスロ−ガン「もえろ、かがやけ、みんなで作ろう、120回目の思い出を」をめあてにして練習に励み、開校120周年を祝う運動会が迎えることはとてもうれしいことです。
 燃えろ、輝けという言葉を聞くと、一人の男の子のことを思い出します。その子は1年生でした。でも、入学式に一日来ただけで後はずっと休んでいました。幼稚園のときもそうでした。一年間で10日ほとだけ来たそうです。なぜならば、心臓が悪く、みんなと同じように運動ができないし、十分に歩けないのです。入学式のときも、お母さんに自転車に乗せてもらって学校に来たのです。
 6月に市民病院に心臓の手術をするために入院しました。でも体の調子が悪く、なかなか手術ができなかったそうです。しかし、手術は成功しました。2学期になったから、学校にこれるかなと先生もクラスのみんなも楽しみにしていたのですが、長い間外へ出て、遊ぶことをしていないので、2学期の間は、三田にある体が弱い人たちが療養しながら勉強ができる、上野が原養護学校に行くことになりました。お父さんお母さんと別れて一人で行くのです。かわいそうだなと思いました。
 その学校でも2学期に運動会がありました。1年生にも全員リレ−がありました。今まで運動会なんかしたことのないたつ君も走りました。運動場一周を足をひきずりながら一人で走り抜きました。みんなより一周以上も遅れました。でも、観衆のあたたかい励ましと応援で最後まで走ったのです、走り終えた時、観衆全員は心から大きな拍手を送りました。お母さんもお父さんも涙をいっぱいためて大きな拍手をしていました。
 先生は後から、その時の様子をその学校の先生から聞いて胸がいっぱいになりました。
 燃えろ、輝けとはこんなことをいうのだとつくづく思いました。
 自分に与えられている力を十分に出し切ること、競争遊戯にも、リレ−や徒競走にもそして表現の演技にも、今まで練習して来た力を最後まで出し切る、この時にこそ私たちが輝くのです。
 先生やお家の方、応援にかけつけてくださった多くの人にその輝きを是非見せてください。そして、開校120周年を心からお祝いしたいと思います。 きょう集われた方々に、お願いいたします。どうか、この子どもたちの輝きに対して大きな拍手を送ってください。
 今日は「燃えろ、輝け」という話でした。1993年9月26日