卒業生に贈る言葉

   生きているってすばらしい
 唐櫃小学校卒業生のみなさん、卒業おめでとうございます。私は、今みなさんの担任の先生が、一年間呼び続けたみなさんの名前を呼び、それに力強く応えている様子を聞きながら、万感の思いをこめて卒業証書をお渡ししました。
 私は昨年の四月、この学校にお世話になった時から、数ある小学校の中で、みなさんが百二十年もの伝統のある唐櫃小学校で学ぶことができて、ほんとうによかったと思えるような学校にしたいものだと、ずっと考えていました。そして、この一年のことを今、静かにふりかえってみる時、唐櫃小学校の職員のみなさんや、みなさんのお父さん、お母さん、さらに地域の方々の学校に対する協力、それに、なによりもみなさん自身が、よく頑張ってくれたので私の願いは、ほぼかなえられたのではないかと思っています。
 一月からみなさんと一緒に給食を食べながら、校長室でいろいろと話をしましたが、どの人も、どの人も、この伝統のある唐櫃小学校で学べたことを喜んでいるようでした。そして、中学校の進学に、ちょっぴり不安をいだきながら、大きな期待をいだいていました。また、自分の将来の夢を教えてくれました。「ノーベル賞をもらえるような研究をして、人類の幸せのためにつくしたい」とか「プロのスポーツの世界に入り、有名になりたい」また「看護婦さんになり、病気で苦しんでいる人のためにつくしたい」「お父さんのしている仕事を引継ぎ、りっぱにあとをつぎたい」など、私の期待をふくらませるものばかりでした。とてもうれしく思いました。
 この一年間、みなさんは自分のよさを生かすために、いろいろな所で活躍してくれました。早朝から練習に励んだ陸上競技、少年野球、それに小体連活動の卓球、バレー、サッカー、水泳、さらに運動会や音楽会と与えられたチャンスを十分に生かして、それぞれりっぱな成績を残してくれました。
 また、自然の厳しさと立ち向かった冬のキャンプ、苦しさに耐え抜くことの大切さ、みんなと協力することの大切さを身をもって学び、立派にやりとげてくれました。私は今、みなさんに本当によく頑張った、立派であったとほめておきたいと思います。
 さて、みなさんの卒業にあたりお贈りしたい言葉はたくさんありますが、その中より「生きているってすばらしい」という言葉をお贈りしたいと思います。
 この三月、私はそれぞれの学級で「生きるということ」について、友生養護学校の六年生の吉川君が一か月もかかって打ったカナタイプの作文「卒業を前にして」を通して考える時を持ちました。
 吉川君は体が不自由のため、近くにある小学校にも行けず、遠い養護学校にも思いのままに行けない状況でした。また、家族の人々に迷惑をかけるのが辛くてしかたなかったようです。そのときの気持ちは彼はこう書いています。
「ぼくは、自分で死にたいと思いました。でも、それも手が使えないのでできません。お母ちゃんに、辛くなったら、いつでも殺してと言いました。お母さんは神様が迎えにくるまでだめといいました。
 お母さんにも、兄弟にもすまないけど、神様が迎えにきてくれるまでがまんしてください。」

 その彼が、秋の終りに次のような詩を私のところに持ってきてくれました。
    君のこと知ってる
 ある 春の朝 生まれた君
 ふれてみれば やわらかな君
 学校帰りに いつも見てた ぼくだった
 雨にも風にも負けずに がんばった君
 今 色づいて 死んでいく君
 人にふまれ 風にふかれて 散ってゆく
 でも また 春さくらの咲くころ 生まれておいで 待っているから
 山も色づき 赤く燃えさかる
 太陽はあかあかと燃えさかり 今 秋の終り
 生きているってすばらしいなあ

 今度生まれてくる時
 みんなような 元気な体で 生まれてきたいぼく
 話してみたい 歌ってみたい 走ってみたい
 いろいろなことをしてみたい
 でも、生きているからしあわせだと思う
 でも、ちょっぴり
 お母さんの馬鹿と思うこともある

 私はこれを読んだとき彼の生き方に感動を覚えました。話すことも、歌うことも、走ることもできない吉川君、その彼が「生きているってすばらしい」と言います。「生きているってすばらしい」そうなんです。「僕など勉強もできない。運動も得意ではない。何もうまくできない」と思うような人にも、誰にも負けることのない美しいものが与えられています。
 皆さんの未来には、すばらしいことがきっと待ち受けていることでしょう。しかし、春のようないい時ばかりではありません。寒くて辛い厳しい冬の季節もあります。でも、どのような時でも、生きるということはすばらしいことなのです。
 皆さん、たった一人しかいない自分を、たった一度しかない人生をどうか悔いのないように送ってください。「生きているってすばらしい」という言葉を忘れないで。

 次に、保護者の皆様方に一言お祝いの言葉を申し上げます。本日は、お子様のご卒業、ほんとうにおめでとうございます。六年間の小学校生活を無事に終え、本日をもちまして、お子様方を皆さんのお手もとにおかえしいたします。六年間、本校の職員が一生懸命お世話をさせていただいたわけはでありますが、十分でなかって点もあったのではないかと反省いたしています。これから始まる中学校生活は子供たちの心身に大きな変化をもたらす大事な時期だと思います。今日も唐櫃中学校から校長先生がおみえくださっていますが、どうぞ、中学校の先生方のご指導のもと、道をはずすことがないように親として十二分の支援をしてやっていただきたいと存じます。本日はほんとうにおめでとうございます。
 最後になりましたが、来賓の皆様方には、大変ご多忙の中をおいでいただき、卒業生たちに祝福をたまわりましたこと、誠にありがたく、心から感謝を申し上げます。卒業生たちは、今後とも、この唐櫃の地域で育っていく子供たちです。どうぞ、変わらぬご支援を卒業生たちにいただけますようお願い申し上げます。本日はほんとうにありがとうございました。

 さて、卒業生のみなさん、最後に一つだけお願いします。それは、今日、おうちへ帰ったら「ありがとうございました」といって、お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさんと握手をしてほしいのです。その時のお父さん、お母さん、おじいさん、おばあさんの手はみなさんがまだ小さかった時、みなさんのおしめを洗ったり、おしめをかえてくださった手です。熱が高くて、うんうんうなっていた時、心配そうに額においてくださった手です。一年生入学の時には、まだ幼かったみなさんの手を引いて連れてきてくださった手です。時にはいたずらをして頭を叩かれた手かも知れません。でも、あなたたちを愛してくださった温かい手です。このことを思いながら、手をにぎり、お礼の言葉を言ってください。
 では、卒業生のみなさん、みなさんの前途に幸多かれと祈りつつ、私のお祝いの言葉といたします。
1993年3月24日