父親の役割

 
 次のような」質問がきました。それについて答えました。参考にればお読みください。
 「私の主人は仕事が忙しく、子どものことについてはすべて私に任せ切りです。しかし、今日の子どもの姿を見ると、父親の役割が必要ではないかと思いますが、いかがでしょうか。
答え
 最近、いじめ・不登校家庭内暴力・少年非行・万引きなど子どもについての多くの問題が出てきています。このような状況をみる時に、どうしても父親の出番があるような気がします。
 最近「親父の会」「両親懇談会」「両親参観」など、学校と父親とのつながりを強くもとうとする学校が増えてきていますが、現実は父親の参加が少なく学校の願いが十分に生かされていません。
 これからの時代は、父親が育児や子どもの教育にもっとかかわっていただきたいし、学校や地域とも深く関わって欲しいものです。
 そこで、ここでは父親でなければできないこと、父親の方がいいことなどを書いてみます。
 まず第一は、父親の働いているところを子どもに見せてやってほしいことです。
 父親が子どもの前にいるときは、休みの日にごろごろしているときのような、あまりいい印象を与えないときの方が多いです。このようなリラックスしている姿も必要ですが、それと同時に、社会で活躍している父親の姿を見せることも大切です。それによって子どもの信頼を増すことになります。
 第二は、後ろ姿で語る父親とともに、正面きって自分の信念を語る父親であって欲しいことです。
 自分の生きてきた道、信念にしていることを語ることは、子どもによい影響を与えます。お風呂に一緒に入っているときに語るのもいいでしょうし、何か一緒にしているときに、それに関して経験を話すのもよいでしょうし、一緒に歩きながら語るのもよいでしょう。
 第三は、子どもと何か一緒にやってほしいことです。
 子どもと何か一緒にやるといっても、なかなか時間がないというのが現実でしょう。しかし、ちょっとの時間でも一緒にやってふれ合うことが大切です。遊び、スポーツ、勉強、散歩など種類はいろいろあります。子どもが一人で夢中になって困るテレビゲームでも、父親が子どもと一緒にやると、一つのふれ合いになります。
 私は父親として不十分な者ですが、一つだけよかったことがあります。それは、幼いときから、三人の子どもをつれて教会学校に行き、そこの教師を続けたことです。子どもはもう成人していますが、一人はは教会学校の教師に、一人は神学校の学監に、後一人独身の時は教会学校の教師として奉仕をし、結婚してからは家族で教会に行っています。
「父たる者よ。子供をおこらせないで、主の 薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい」 エペソ人への手紙第6章4節