学習意欲を高めるために 子どもを信じて待つ

 親は、子どもの学習意欲を高めるために一生懸命です。子ども自身が意欲的に学習してくれるよう、様々に励まします。
 低学年の子どもを持つ一人の母親は、子どもを励まそうとして「さあ、猛勉強しないとだめでしょう」「さっさとしていかないとだめでしょう」「もっときれい字を書かないとだめでしょう」「おしゃべりなんかしていないで、勉強に熱中しないとだめでしょう」と「だめ」の連発です。
 子どもが自分で考えてやろうとしても、学校でしたことを思い出してしようとしても何もできません。ただ、親の言うとおりしないとだめなのです。これでは子どもはやる気をなくすばかりか、無気力で、身を守るしか、すべがなくなります。親の欲や期待が子どもより先にあるため、禁止と干渉する言葉の多用となります。
 また、上級生になれば「やればきっとできるのだから、やってみれば」「やってできないはずがないよ」「やってやれないわけないのだから、やる気をおこしなさい」「あなたの将来が心配なの。だから、言いたくないことも言っているの」「負けてくやしくないの。意地を出しなさい」と。
 親は子どもを励ましてきたつもりですが、子どもは「うるさい、ほっといてくれ」叫んでしまいます。
 このように、親は子どもに様々な声をかけます。しかし、この言葉の中には、親の意図や気持ちが込められすぎの場合が多いです。ですから、親の願いに子どもが苦しめられているのではないでしょうか。親は励ましているつもりでも、実は「もっとやる気をだせ」という叱りと説教が同じになっているのではないでしょうか。また、子どもへの要求水準が高すぎるのではないでしょうか。
 子どものやる気を阻むものは、親の心のうちに、日ごろから数多くしまわれているのように思われます。それが何かのはずみで、口をついて出てしまうのです。
 子どものやる気は、ただただ、待つ姿勢から生じます。子どもを信じて待つ、子どもの願い思いをしっかりと親は受け止め、うなずいてにっこりと笑みを浮かべてこそ生じるような気がします。
「見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。」  詩篇127章3節 グッドニュース2004年5月号「母と子の相談室」より