朝会の話 84 悲しい思い出 3

 おはようございます。
 いよいよ洋子さんの話の最終回です。
 遠足に遅れた洋子さん、みんなと離れてお弁当を食べていましたね。先生が側に行って、一緒にお弁当を食べましたが、洋子さんのお弁当は、おにぎりだけだったのでしたね。
 先生は、「おかずないの。」と聞きました。「うん。」と恥ずかしそうに答えました。「だって、きのうお母さんがいなかったので、朝、私は、弟のお弁当を作りました。たまご焼きを作ったのですが、二人の弟にいれてしまったので、私の分がなくなったの。」
 先生は、
「そう、先生のおかずを一緒に食べようね。」
と先生のおかずを二人で仲よく食べました。
 洋子さんのお母さんは、時々、仕事の都合で家に帰らない時もあるのです。ちょうど、遠足の前の日は家に帰らない日だったのです。ですから、洋子さんが、1年生と2年生の弟のお弁当を作ってあげたのです。ところが、弟たちのおかずはあったのですが、洋子さんの分がなかったのです。
 先生は、こんな優しい子をなぜみんなはいじめるのだろうと、不思議に思いました。
 5年生になると。家庭科の勉強が始まります。家庭科の勉強で、家での私の生活表を作りました。一週間の生活表を書くのが宿題でした。遠足があった週に家庭科の勉強がありました。先生は、洋子さんの生活表をOHPに写して勉強を始めました。
 洋子さんの生活は、遊ぶ時があまりありません。家に帰ると、買い物、掃除、洗濯をしています。勉強をする時間もありません。時々、朝の食事作りもあります。夕ご飯を作った日もありました。
 この表を見て、いろいろな人が感想をいいました。
「ぼくと違って、ほとんど遊ばないで、家の仕事ばかりしている」「テレビをあまり見ていない」
「家の仕事ばかりしているから、勉強をあまりしていない」
「いっぱい、家の仕事をしている。私なんか、家の仕事なんかほとんどしていないのに、この子はとてもえらい子です。きっとお母さんは大喜びだと思います」
「私も、ちょっと家の仕事をしなければ、いけないと思います」
「私なんか、おかずも作ったことがないのに、夕飯を作っている。とてもえらいなあと思います」
「この子は、宿題をいつしているのですか」
「先生、この子はいったい誰ですか。教えてください」
 私は「これは、誰だと思いますか」と尋ねました。みんなは、学級を見回して、とてもまじめな妙子さんでないかと思いました。
「先生、妙子さんでしょう」
と言いましたが、妙子さんは「私とちがう」と言いました。
みんなは、口々に「先生誰や教えて」と言うのです。
私は、
「この子は、洋子さんです。」と言いました。みんなは「えー」とびっくりしたような声で言います。一番大きな声で「そんなうそや」と言ったのは、洋子さんを中心になっていじめている子でした。
「この前の遠足の日に遅れて来たのは、洋子さんが弟の分までお弁当を作っていたからです。お母さんはお仕事がとても忙しいから洋子さんがいろいろな、仕事をしているのです、宿題をよくして こないのも、忘れ物が多いのも、なぜかみんなよく分かったでしょう。洋子さんは、私たちができないことを、いっぱいしていているのです。洋子さんはとてもえらい子です。先生はいつも感心しています。」
 みんなは、黙って私の話を聞いていました。洋子さんは赤い顔をして、私の話を聞いています。
 休み時間になりました。洋子さんの回りに何人かの子が集まっています。先生はほっとした気分で職員室に下りていきました。
 2か月ほどは、悲しい思い出でした。でも、これから後はとても嬉しい思い出になりました。
 これで、3回続いた「悲しい思い出の話」を終わります。1964年7月18日