朝会の話 55 一つの柿の思い出

 おはようございます。
 先生は秋になり、柿の実が熟する頃になると苦い思い出が自然に浮かび上がってきます。
 それは、先生が5年生の頃でした。その頃先生は新聞配達をしていました。朝早く起きて新聞を配るのです。今時分になると、暗いうちに起き出して、配り始めます。配り終わった自分にやっと明るくなります。
 ある農家の庭先に、柿の木がありました。そこに大きな柿の実が熟し始めました。とてもおいしそうです。その実は庭先から道路につきでていました。ちょっと手を伸ばせば取れる所になっていたのです。毎日毎日見る度に、おいしそうだなといつも思っていました。でも、よその柿だから、取ってはいけないなあと思って見ていただけでした。
 ところが、ある日、少し早い目に新聞を配りました。ちょうど柿の実がなっている家を配った時はまだ、薄暗かったのです。まだ人通りもなく、だれも見ていません。先生の心の中に悪い思いが出てきました。先生はだまってその柿を取ったのです。急いで走り去りました。山かげに隠れて、その柿を食べたのです。とてもおいしかったですが、食べ終わったとたん、先生の胸がどきどきしました。「人の物を黙って取って食べた。だれ見ていないと思っているが、私がちゃんと見ているのだよ」と心の中から声が聞こえてきたのです。先生は、ますますどきどきしました。いつも元気に家に帰って朝御飯を食べるのですが、その日は、「ただいま」という声も小さく、朝御飯もあまり食べません。先生のお母さんは「健一どうしたの。しんどいの」と尋ねますが、「ううん」と首をふるだけでした。その日学校に行ったのですが、学校の勉強も耳に入りません。先生に何度も注意を受けました。「僕は、人の物をだまって取った。どうしょう、どうしょう」と思うだけでした。
 夕方家に帰りました。先生のお父さんが帰ってきました。お父さんは、「健一、ちょっときなさい。」と言われました。先生は黙って行きました。
「健一、何か悪いことをしたのでしょう。何をしたのですか」と尋ねられましたが、先生はどきっとしましたが黙っていました。「正直に話してごらん」と聞かれたので先生は正直に柿の実を取ったことをん話しました。
「だれも見ていないと思ったけれど、ちゃんと神様がみてられるの だよ。さあ、お父さんと一緒に謝りに行こう」と言ってくれました。先生はお父さんとその家に謝りに行きました。
 お父さんは、私の代わりに頭を何度も下げて謝ってくれました。先生もごめんなさいと謝りました。その家のお父さんもお母さんも許してくださいました。そして、「柿が欲しかったら、叔母ちゃんに言いなさいよ。上げるからね。黙って取ったらいけないんだよ」といってくださいました。
 あれから、もう50年近く経ちました。しかし、秋になり、柿の実が熟する頃になると思い出すとても苦い思い出です。1993年12月6日