父親の役割 四

 大人は、父親という言葉から「きびしい」「頑固」「近寄りがたい」という「力をもった権威的」なことを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
 ところが、今日の子どもたちは「興味がない」「どうでもよい」「よく分からない」など「父親は自分にはあまり関係のない、無関心などうでもよい存在」というイメージをもつことが多いようです。
 確かに今日の父親は、朝早くから夜遅くまで会社で一生懸命に働き、「家にいる時ぐらいのんびりとしたい」という思いがあり「子育てや家のことまでやる必要がない」という思いが強いようです。そのため父親は家庭の中での尊敬を失い「厳父」から「ただの人以下」になっているのではないでしょうか。
 父親が子どもの育児や教育に参加してくれないと失望した母親は、父親の期待を捨て、自分一人で子どもを守ろうとします。更に核家族化や少子化により、母親が子どもの教育に自由に時間を使えるようになってきました。このような母子関係の中で、今日の母親は、必然的に子どもを甘やかし過保護の育児になってきます。その上、母親は子育てに失敗したら大変だという不安が、母親の自分こそ子どもを守ってやらなければならないという気持ちが、結果として「わがまま」な「自ら生きる力のない」子どもが多くなってきているのでないでしょうか。  ここから、「非行」「いじめ」「自殺」「不登校」など多くの問題が子どもの中にあるのではないかと思います。
 子どもはもともと父親が大好きです。一緒に遊びたい、風呂にも入りたい、夢のある話をしたい、つまらない話をしたい、時には怒られたい、喧嘩もしてみたい。そして何よりも、尊敬したい。子供はそんな気持ちをもっているのです。
 今日の子どもの中にある多くの課題を解決するために、父親はもっともっと積極的に子どもに関わり、子どもの願いに応えていかなければならないと思います。 聖書にははっきりと父親の役割が書かれています。
「父たちよ。子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒と によって育てなさい。」エペソ人への手紙6章4節