子供をほめるには

 「先月号に、子どもをほめなさいということが書かれていましたが、なかなか子どもをほめることができません。一体、子どものどんなところをどのようにほめればいいのでしょうか。」という質問に対してわたしは次のように答えました。参考にしてください。
 ほめるということは、毎日子どもを指導している教師でも難しいことです。ある先生は私にこんなことを言いました。
「ほめなさい、ほめなさいといくら言われてもM君をほめることはできません。あの、M君でもほめるのですか」と。
 確かに、M君はいたずらを常にします。ほめることなど全くない子でした。この言葉は教師の真実な声でしょう。しかし、ほめることを心がけないと、子どもは伸びません。
 まず、ほめるには教師や母親の基準で子供を見てはだめであるということです。
 教師も母親も大人です。子どもは未熟です。子どもを見る視点を子どもの高さまで下げるのです。後片付けを子どもがした時、完全でなくても「本がきちんと並べられたね。上手にできたね。」と部分的であっても、そこをほめるのです。不十分なところは叱らずに具体的に教えればいいのです。次はきっと二つのことをほめるようになります。子どもを育てるには急いではだめです。
 次に、子どもをほめるには、結果をほめずにその過程をほめることが大切なのです。大人は、結果を見て判断します。それでは、子どもをほめることはなかなかできません。掃除をさせた時、結果をほめようとしても、ほめられないことが多いです。でも、頑張って掃除をしていることはほめることができます。「がんばって掃除をしてたね。」と、頑張っていることをほめます。
 三番目には、意欲をほめます。幼児の頃は、お母さんのされることを真似します。お母さんが掃除をされるのを見て「私も掃除する。」と子どもは言います。その時は一番大切な時です。「そうさっちゃん、掃除をしてくれるの。ありがとう。じゃ、お願いね。」と言って子どもにまかせるのです。終われば、不十分であっても「さっちゃんが上手にしてくれて、お母さん助かったよ。えらいね。」とほめます。後で、お母さんが気の済むまで掃除をやり直せばいいのです。二度手間になっても、子どもが成長することの方がもっと素晴らしいことなのです。
 
 あなたはパリサイ人の目で子どもを見ますか。(ルカ18:11,12)それともイエスさまの目で子どもを見ますか。(ルカ21:2〜4)