命の尊さ Y君の作文を通して学んだこと

 二月中旬であるのに、もう菜の花が満開と新聞は報じる。ウグイスの初鳴きが聞けたという。例年より半月も早い春の訪れだ。
 一年生の植えたチューリップもう大きな芽を伸ばしている。一月の初めから学習園の葉ボタンのとうが立ち、花を咲かせている。
 朝の耐寒マラソン、今年は例年にないほど多くの子供たちが、上半身裸で走っている。
 一年中で一番寒いはずの二月、厳しい寒さは一体どこに行ったのであろうか。
 そのせいか、欠席者も例年になくとても少ない。二月十五日が今年の最高で三十七人、しかし昨年の半分以下だそうだ。
 このような暖かい冬を一番心配しているのは、六年生の子供たちや先生方である。三月旧日から十一日まで、スキーキャンプに出かけるのに、期待の雪が残っているかどうか。例年であるならばこの時期も雪がたくさん残っているとのことであるが、今年は一体どうだろう。
 スキーキャンプが終われば、六年生はもう卒業である。
 今年卒業するほとんどの子供たちは、橘小学校、東川崎小学校、入江小学校で入学し、それぞれの学校で二年生まで過ごし、三年生から新設の本校に入学した子供たちである。
 左も右も分からず、字も十分に読めず、計算もできなかったのに、六年間の学習を終えて晴れて卒業の日を迎える。初めて自分の子供が小学校を卒業することになるお父さん、お母さんは、さぞ感激ひとしおのことと思う。子供たちとともに、ご両親にも心からお祝いの拍手を贈りたい。 
 一昨年の十二月号にも書いたが、私が心身障害児学級と担任していたとき、友生養護学校に通うY君(彼はひとりで歩くこと、手を動かすこと、話すことも自由にできないが)と、週に一日、時には毎日、一緒に学習した。私は彼の笑顔がとても好きであった。その彼が、卒業も近い三学期のある日、卒業文集に載せるため、一カ月以上もかかって打った、訂正だらけのカナタイプの作文を持ってきてくれた。
 モウスグ ソツギョウデッスネ。
 ソツギョウマデ アトワズカデス。トウトウ ヒヨドリダイショウガッコウヘイクコトガデキマセン。ザンネンデス。
 ミンナト オナジベンキョウヲシタリ、アソンダリシタクテ ガンバリマシタガ デキマセンデシタ。
 ボクハ コンナカラダデウマレテキテ トテモザンネンデス。
 オトウサンハ ボクヲイッペンモ サンボニモ シンセキニモ ツレテイッテクレマセン。ミットモナイカラデス。
 オカアサンガ ドコカヘツレテイッテトイウト オコリマス。オカサンヲタタイタリ ケッタリシマス。ボクガ ヨウゴガッコウニイクコトモキライデス。
 ボクハ オカサンガナグラレタリ ケラレタリシナガラ ガッコウヘツレテイッテモライマス。
 ボクガ ガッコウニイカナイデ シセツニイレテハタラケ。ドッチガダイジカ カンガエロト オコル。
 オネエチャンガ 「コウコウヲヤメルワ。」トイイマス。
 オトウトガナイテ ボクノソバニキマス。
 ボクノタメニ イツモミンナガツライオモイヲシマス。
 ボクノダイジナオトウトヤ オネエチャンガ ボクノコトデイジメラレルシ オカアチャンハ タタカレテバカリ。
 ボクハ ドウスレバイイカワカリマセン。
 シセツニ ハイリタイトオモイマスガ オサムヤヒロシガナクノデ ハイルコトガデキマセン。
 ガッコウニイキタイケド イケマセン。ハヤビキシタリ コンナコトデハ アカントオモイマスガ ドウスルコトモデキマセン。
 キミタチガ ウラヤマシイヨ。
 オカチャンハ 「ベンキョウシタカッタラ ジブンデカンガエ」トオコリマス。
オシエテ」トイッタラ 「シラン」トオコリマス。
 ソレデ ヒトリデ イロイロベンキョウシマス。
 シャカイハ チリヤレキシガスキデス。
 リカハ ジテンヤテレビト ハタケデイロイロナヤサイヲウエテシラベマス。
 コクゴハ ジテンヤショウセツデ ベンキョウシマス。
 エイゴモ エイゴジテンヤテレビデオボエマス。
 ヒッシニベンキョウスレバスルホド カナシクナッテ ナクコトモアリマス。
 コンナコトカキタクナカッタケドモ ライネン チュウガクダロウ。
 ガッコノカエリニ ガッコウニイカイデアソンダリ タンシャニノッテルヒトヲ ミマス。
 ボクノトモダチ タクサンノトモダチニ オネガイシマス。
 ワルイトモダチヲ ツクラナイデクダサイ。
 モシ カラダガワルクナッテ アルケナクナッタリ コトバガデナクナッタラコトバデカキアラワセナイホド カナシイシ タイセツナカゾクガ ツライオモイヲシマス。
 ガッコウノカエリニ オトナノヒトニ ヒドイコトヲイワレルコトモアリマス。
 ヒダリノテデ ヒダリミミヲオオサエテ ジットガマンスルンダヨ。
 オカアチャンガ イイカエソウトスルンデ
「ガマンシテ」トタノミマス。
 ミンナニキカレタリ ミラレタリスルト ハズカシイシ。
 ボクハ ジブンデシニタイトオモイマシタ。
 デモ ソレモ テガツカエナイノデデキマセン。
 オカアチャンニ
「ツラクナッタラ イツデモコロシテ」
トイイマシタ。
 オカアチャンハ
「カミサマガ ムカエニクルマデ ダメ」
トイイマシタ。
 オカアサンニモ キョウダイニモスマナイケド ガマンシテ。
 カミサマガムカエニキテクレテ マタ ボクガニンゲンニナレルナラ キョウダイナカヨク タイセツニシテクラシタイ。
 ボクノコトデ イジメラレナイクラシヲシタイト オモイマス。 キミタチハイイカラダヲモッテルノダカラ オカアサンヤカゾクヲ カナシイオモイヲサセナイデクダサイ。
 これをY君から受けとり読んだ時、最後まで読み切れなかった。一か月以上もかかって打ったカナタイプの文字、あちらこちらに訂正された文字、彼の苦しさ、悔しさがどの言葉からも読み取れた。 
 私はこの作文を使って、何度か、卒業を前にした子供たちとともに考えた。今、中学三年生になっているA子は次のような感想を書いてくれた。
「私は、初め読んだ時、Y君は生きている値打ちがないと思いました。なぜならば、お父さんにきらわれ、お母さんに苦しい思いをさせ、家族のみんなにつらい思いをさせ、自分がしたいこともできず、みんなにめいわくをかけ、とくに、お母さんはお父さんにけられたり、なぐられたりしながらも学校に連れて行ってもらっている。もしも、Y君がいなかったら、もっともっと楽なくらしができるのに。
 しかし、Y君が「つらくなったら、いつでも殺して」とお母さんに頼んだ時、一番苦労しているお母さんは
 『神様がむかえにくるまでだめ。』
 と言っています。また、お母さんがお父さんに、『Y君を施設に入れて働け』と言った時、お姉さんは『高校やめる』と言い、弟たちは、そんなことをされたらかわいそうだと思い、Y君の側に来て、守ろうとします。
 一番つらい思いをしている家族が、Y君を一番大事にしています。家族の宝にしていると思います。お父さんだって、きっとみんなと同じ思いだと思います。しかし、とてもつらいから、Y君やお母さんに対してそんなことをするのだと思います。
 それだけではありません。私たちに、悪い友達を作らないでと心配してくれています。自分の経験から、体が悪くなったり、歩けなくなったり、言葉がでなくなったりしたら、大切な家族がつらい思いをするのだよと忠告をあたえています。そして、いい体を持っているのだから、家族に悲しい思いをさせないようにしてくださいと願ってくれています。
 私のいとこに、たっくんがいます。たっくんは、今養護学校に通っています。私たちとお話がちゃんとできません。自分だけでいつもにこにこしてしゃべっています。小さい時に、たっくんのお父さんやお母さんはとても心配で、あちこちの病院に連れて行きました。しかし、どうすることもできなかったそうです。お父さんもお母さんも、たっくんをとても大事にしています。私たちもたっくんが好きです。おしゃべりがちゃんとできなくてもいいから、いつまでも元気でいてほしいです。
 初め、私はY君は生きている値打ちがないと思いましたが、Y君もたっくんと同じように、いつまでも元気で生きてほしいです。そして、私たちに生きることのすばらしさを教えてほしいです。」
 Y君の作文を読んだ子供たちは、不自由な体で一生懸命に生き抜いているY君の気持ちを感じ取った。そして、もっともっと真剣に生きなければならないと思った。それとともに命の尊さを感じ取った。
 私が五年六年の二年間教えたEさんというとても素晴らしい子がいた。大学を出て、群れを抜いた成績で神戸市の教員に採用されたが、その年の十月、あまりの指導の難しさに耐えきれず、自殺してしまった。
 このことは、私にとって、とても辛いできごとであった。もし、私がEさんにY君のことを教えておけば、命の尊さをもっときちんと教えておけば、こんな悲しい出来事は起こらなかったのにと心より悔やんでいる。十八年前の出来事だのに、今も私の心に大きな穴が空いている。
 卒業式が近づく頃になると、春の花が一斉に開く。厳しい寒さを越してきた喜びを花全体に表わせて。
 運動場に隅に、ふきのとうが芽を出している。
 春はもうすぐ側まできている。                                  (けやき 平成四年三月号)