命のかがやき  知らない人生を知るということ

 今年の台風は長雨をもたらせた。美しい秋の空を見ることが少なかった。そのせいで、子供たちの楽しみにしていた秋の遠足も延期になった。
 台風二十一号が遠く東に去ってから、大陸からの高気圧に覆われ始めてきた。そして、美しい秋の空が広がった。
 大陸からの高気圧に覆われ始めると、上空に冷たい空気が流れ込み、朝の気温が下がってくる。すると、紅葉の季節になり、見ごろも、もうすぐ訪れることだろう。美しい秋が待ち遠しい。 
 十月九日の朝日新聞の声欄に次のような投書があった。
 先日の日曜日、私の勤務校である三田市の上野ケ原養護学校で体育祭が行われた。さ わやかな秋晴れの下、病弱学級の部の小学校一年生から中学三年生まで、少数ではある がとても盛大であった。
 種目は普通の学校と大して違わないが今年三月まで私が過ごしてき大規模校とは大きな違いがあった。
 一つは子供がここでは主役である点である。普通の学校にいればほとんど目立たない、いやむしろ病弱であるだけに陰にかくれている子供が、だれからも期待され認められた存在なのである。実に伸び伸び、生き生きと楽しんでいる。
 私は今まで大勢の子供たちを動かすのにわめき、どなりちらしてきたが、この学校ではまったく無用であった。
 また、ここには助け合う姿勢があった。親の元を離れての入院生活であり、それぞれ病を持った子供たちにとって自分の苦しみは他人の苦しみでもある。教え合いカバーしあう生活が自然にはぐくまれる。
 全員リレーがそうであった。生まれつき心臓が悪いためほとんど外出することのなかった少し足の具合の悪い小学校一年生のA君がトラック一周を見事に走り抜いて次の子にバトンを渡した。そのときの全員の心からの声援は圧巻であった。本校に転入の七月まで団体生活をまったく経験していないA君をみんなではぐくんできたんだ、という感激があった。
 終了後、森に囲まれた緑の校庭のあちこちでお弁当を広げる家族の楽しい声がいつまでも聞こえていた。
 確かめたわけでもないが、このA君はこの四月に本校の一年生に入学したI君であろう。彼は、入学式の日に一日出席しただけで、市民病院に入院し、心臓の手術をした。そして、入学後一日も本校に出席することなく、ただ一人で転校し、療養している。彼の属する一年生の学級の子供たちは、I君の帰って来る日を心待ちにしている。
 この投書から、私は、I君が多くの人々の温かい励ましに支えられ、病弱という障害を負わせられているにもかかわらず、持てる力を最大限に発揮している姿に感動した。
 五年前、五年生の子供たちと、副読本の「友だち六」の中から、「だれも知らない(灰谷健次郎作)」を学習した。
 これはM養護学校に通うまりこ、まりこはお母さんと一緒に八時に家を出る。家を出てから、バスストップまでの二百メートル足らずの道のりを四十分かかって歩く。歩くときは、ふつうの人の十倍の力を出さないと歩けない。
 その間にいっぱいの友達と会う。きっさ店のやすこ姉さん、ねこのクロ、はち、竹の棒ではちをつつきはちにおそわれている少年、まつばぼたん。そして、まりこのお母さんを悲しませ、けっしてまりこには聞かせたくないことばをはく人。
 これを学習したあと、N子は次のような感想を書いた。
「元気な人は、体の不自由な人よりもだらしないです。体の不自由な人の方がとてもすばらしい生き方をしています。まりこさんは私たちよりも命が短いかも知れません。しかし、私たちよりも多くの友達と会っています。それはきっと言葉がしゃべれなくても、その友達とは心が通じあっているから、まりこさんのしゃべることが分かるのだと思います。
 まりこさんのように、どんなに重い障害を持っていてもひたすら生き続ければ、とてもすばらしい生き方ができると思います。自分は健康な体を持っているから、体の不自由な人よりもえらいんだという考えを持つのはまちがいです。どんなに苦しくても、つらくてもくじけず生きる生き方は、すばらしい人生を歩んでいることになると思います。そのことは、はちが一番よく知っています。まりこさんが、はちとおしゃべりしていても、さしたりは決してしません。しかし、竹の棒で、ひょいとはちをつついた少年たちには、はちはいっせいにおそったのです。
 だのに、このまりこさんに対して『気味悪い』とか『あんな子、何が楽しみで生きてるやろ』とまりこさんに聞かせたくない言葉をはく人がいるのです。人の苦しみを自分も苦しむようにしなければならないのに。このような人は、本当のことをいってバカです。
 灰谷さんが前書きに
『人を愛するということは、知らない人生を知るということだ。』
と書いています。私もまりこさんのような人生を知り、本当に人を愛するようになりたいです。
 私のクラスには、なかよし学級に在籍のU子がいた。N子はU子とよくかかわりを持っていた。そのU子について次の文を書いていた。
「U子ちゃんは、とてもいい子です。でも、みんなは『たたくからきらいや』と言います。私はそうと思いません。U子ちゃんは、言葉で『いっしょに遊ぼ』とは言えないのです。だから、肩をたたいて『いっしょに遊ぼ』と伝えているのです。
 みんなは、U子ちゃんのこときらってるみたいだけど、U子ちゃんも私たちと同じ人間なんです。U子ちゃんの心が読み取れない人は最低です。」
 一年生のI君、上野ケ原養護学校で命をかがやかせている。同じ苦しみを持つ仲間たちに支えられて。
「だれも知らない」のまりこ、重い障害を負わせられながら、命をかがやかせている。彼女の生き方を知った多くの子供たちによって。
 私のクラスにいたU子、クラスの中で喜びをいっぱい見せながら命をかがやかせた。U子の心が読み取った友達によって。
 六年生の修学旅行、開校以来初めての美しい秋空の下、伊勢へ出発した。三熊山からの眺望は何年間に一度しかないほど素晴らしかったと電話の連絡が入った。そして、二十四日の夕方、よろこびいっぱいの思い出をつめて、六年生全員元気で帰ってきた。
 延期になった遠足、朝は雨が降るようなそらだったが、十時を過ぎた頃より青空が広がり、野や山や海、姫路城や動物園で喜びいっぱいの声を上げ、秋の一日を過ごした。
 七人の教育実習生、四週間の実習を終え、子供との出会いから得た、子供とともに学ぶよろこびと、教師となる希望を胸にいっぱいつめ二十九日に大学に帰っていく。
 十一月十七日の音楽会に向けて、「力を合わせ、ひびけ心に」を合い言葉に練習を励む子供たちの眼はかがやいている。音楽会の日が待ち遠しい。
 すべての子供が自分の命をかがやかせている。
 秋が、日一日と深くなっていく。       
  (けやき 平成三年十一月号)