思春期を迎える子どもたち(15)

 先月号からの続きです。子どもの幼少時代からやるべき課題です。
 初めて思春期の子どもを持つ親は、今までのわが子の姿とずいぶん違うことに戸惑うことでしょう。子ども自身も、人間関係、自分自身の姿、勉強のこと、進路のことだけでなく、第二次性的発達による自分の体のことで悩みを抱え苦しんでいます。親は、このような状態がいつまで続くかと不安でいっぱいであることと思います。よく言われている「見守りながら待つ」という姿勢がとれなくなってしまいがちです。
 子どもが思春期に入り、中学に入ったころから、親はしんどくなるものです。前にも述べましたように、今までは親の価値観の中で生きてきた子どもが成長し、今までとは異なる価値観に心をひかれるようになります。本、映画、先生、早熟な同級生、先輩……さまざまな人や物との出会いの中で、子どもの価値観は揺れます。そして、今までとは異なる価値観に染まります。悪い親であれば当然のようにわが子から非難されます。それだけでなく毛ぎらいされてしまいます。いい親であっても「どうせお母さんは優等生でしょう。でもわたしはお母さんみたいに優等生じゃないの。もっと違う生き方があるよ。お説教しないで」と子どもに非難されます。どちらにしても親はつらいものです。
 幼少期に「だっこして」とか「本を読んで」「見てー」「聞いてー」というわが子に対してたっぷり相手をしてあげた親ならば、このような時でも、「子どもが小さかった時、わたしは手をかけ、心をかけて育ててきた」という思いをもって子どもの待つことができます。だから、「この子はきっと大丈夫。根っこはしっかりと育っているはずである」と自信をもって待つことができます。
 思春期の子どもたちにとって、小さい頃のアルバムは大きな心の支えです。アルバムには自分がみんなに無条件で愛されていたという証拠が残っています。また、親の育児日記を読ませることにより、子どもは安らぎを得ます。お母さんのおっぱいを飲んでいる写真も大切です。
 子どもが小さい頃にお父さんやお母さんに愛されていた事実、悩む思春期の子どもにとって憩いを与えます。だからこそ父親も忙しい合間をぬって家族と過ごす時間をつくってほしいものです。
 「あなたの子らは、あなたの食卓を囲んで、オリーブの木を囲む若木のようだ。」  詩篇128篇3節