子供を信じるということ

 春四月、すべてが華やかである。花の色、空の青さ、そして若葉の鮮やかな緑。
 喜々として子供たちがやってくる。新しい学年、学級、先生、友達そして教室に、大きな期待を込めて。
 卒業生が去り、がらんとした四階の教室には、最高学年だという意識に燃えた新六年生が満ちる。そして一階の教室には、上級生に手を引かれた大きなランドセルを背負った一年生の子がやってくる。華やいだ声がうれしい。
 しかし、すべての子供がそうあって欲しいという私たちの願いとは異なり、教室に入りたがらない子がいる。お母さんと離れるのがいやで涙をこらえた子がいる。病を背負い学校に行けない子がいる。
 私が六年生を担任した子にW君がいた。その彼が四月当初に次の日記を書いてくれた。「ぼくがこの学校に転入してきたとき、学校がきらいできらいでしゃないほどだった。一週間に一回ほどは学校に行ったふりをしてぼくのうちの裏の山にかくれて、適当な時 間に帰ったこともあった。また、しんどいこともないのに、しんどいと言って学校を休 んだこともあった。また、学校に行くのがいやだったので、家出をして、前にいた高丸 の家に行き、一日中かくれていたこともあった。
 でも、ぼくは鎌野先生の組になったのでがんばります。6年生だしちゃんとしないと いけないと思うのでがんばります。」
 私はこの日記の後に、次のことを書いた。
「W君の苦しかったときのことを先生に書いてくれて本当にありがとう。もうひとりだちが完全にできたね。りっぱな強い心を持ったW君になってくれて本当にうれしいです。先生は心からW君のこの決意を信じます。これからも、つらいこと、いやなことがいっ ぱいあるかも知れません。でも、もう大丈夫。ひとりだちをしたW君ならば勝つことが できます。また、日記に自分の苦しいこと、いやなことがあれば書いてください。いっ しょに考えていこうね。」
 翌日、彼は次の日記を書いてくれた。
「『先生ありがとう』日記にW君のこと信じますと書いてあったとき、なみだがでそうなほどうれしかったです。ぼくは、今まで一度だってぼくのことを信じてくれたことがなかったから、すごくうれしいです。ぼくはきっと先生が信じてくれたようにがんばります。」
 彼は、この一年間私の信頼に応えるようにがんばってくれた。失敗もすることもあった。しかし、私は彼の決意を信じてやった。お互いに弱い人間であるがゆえに、彼を突き放さず、信じきってやった。
 その彼も今年は中学三年生、複雑な家庭環境のもとで、全うに生きようと努力し続けている。
 子供を信じるということ、それはとても難しい。しかし、親が、教師が子供を信じなければ、誰が子供を信じるであろうか。子供の素直な心、自分の弱い心に負けまいと必死に努力している幼い子供たち。これに応える親であり、教師でありたい。
 校庭のさつき、美しく咲きそろった。木々の葉も生き生きと命をみなぎらせている。
「せんせい、きゅうしょくおいしかったよ。みんなたべたよ。」
 入学当初なかなか友達となじめず、教室に入りたがらない女の子が私に話しかけてくれた。
 生き生きと命をみなぎらさせている子供たち、一日一日と大きく成長し続けている。           (けやき 平成三年五月号)