卒業式を前にして 子思う母の気持ち

 立春が過ぎると、日一日春めいてくる。校舎の回りにある木々には、春を待つ芽がふくらんでくる。ロウバイは葉より先に枝の節に、香りのよい花を下向きに咲かせている。秋に、一年生が植えたチューリップが、もう五センチも芽を伸ばしている。都会の真ん中にあるこの湊小学校でも、確かに自然の営みが訪れる。創造の神の素晴らしさに感謝せざるを得ない。
 三月の声を聞くと、卒業式がにわかに近くになる。私立の高校では、もう二月の初めに終わる。そして、三月になる前には公立の高校の卒業式が終わる。音楽室からは、卒業式に歌う歌が聞こえてくる。(湊小学校では残念なことに、別棟なので聞こえないが)ここで三年間学んだ六年生の子供たちも、巣立つ日が近い。
 私は何回か六年生を担任した。そして、卒業を前にして「生い立ちの記」を書かせた。多くの子供たちは幼いころの自分を書き、母親の苦労を書き残している。
「私は、生まれたときの体重が、普通の赤ちゃんより軽かったので、保育器に入らなければならなかった。父も母も、私が眼が見えなくなるのではないかと心配し続けたという。それだけではない。生まれたときから、体が弱かった。何回も入院をした。今でも小児ぜんそくにかかり、家族に心配をかけてばかりいる。」
        恵美子
「ぼくは、ごく普通のように生まれた。しかし、眼が見えるころになっても、眼が見えなかったので、父も母もとても心配した。あちこちの病院に診てもらいにいったという。見えるようにはなったが、小さい頃は眼鏡をかけていた。そのため、とてもよくけがをした。今でも、僕の眼は斜視である。自分の眼を見る度に、小さい頃の両親の苦労を思い出す。」          透
「僕が生まれて三日後、どういうわけかお乳が飲めなくなった。そのため、須磨の子供病院に入院をした。お母さんはぼくが死んでしまうのではないかととても心配したという。また、ぼくは知らないことだけど、二才のときお母さんにおんぶされているときに、けいれんを起こした。そして、自分の舌をかみ切ってしまいそうになったという。その 時、お母さんは自分の手をぼくの口の中に入れて、舌をかみ切らないようにしてくれた。その時のお母さんの手はもうちぎれそうで、神経が通っていない感じだったという。
 もし、その時お母さんが手を入れてくれなかったら、ぼくは、自分で舌を切って死んでいたかも知れない。」そして、「ここまで、大きくなるまでに、多くの人に助けられている。この中の一人でもいなかったら、ぼくだけでなく、他の人もこの世界にはいないかも知れない。ぼくは、この人たちに、感謝しなければならない。」   晶
とも書いている。
 一緒に勤務していた、ある女の先生、長男の小学校の卒業式に出て、学校に帰って来られた時、眼が真っ赤だった。私は失礼だったが、「どうしたの」と聞いた。その先生は「卒業式中、自分の子供を見ていたら、涙が出て、涙が出てしかたがなかったのです。恥ずかしかったけれど、ずっと泣いていました」と話してくださった。
 私は、自分の子供の卒業式に一度も出たことがないせいか、この先生の気持ちが十分に分からなかった。
 あるとき、その先生からこんな話を聞いた。
 その先生が長男を出産されたのは十二月だった。まだ、現在のように育児休暇がないときだったので、出産してから八週間たてば、出勤しなければならなかった。でも、ご主人の郷里も、その先生の郷里も遠い。その上、赤ちゃんを見てもらう所もなかったので、しかたなく二月より、八週間の赤ちゃんを四国の実家に預けなければならなかったという。春休みまでの約一月間、乳房の痛みだけでなく、心の痛みのため毎夜涙が絶えなかったという。
 辛かったのはそれだけではなかった。ときには、熱のある子供を家に一人で寝かして、勤めに出ていく時も何度かあったという。長男が小学校に入学すれば、次男の保育所の迎えをさせたという。
 このようなことを、私に涙ながら話してくださった。
 その子は、この春、中学を卒業し、神戸より遠く離れた高校に旅立つという。まだまだ、母親の心の痛みの日は続く。
 子供は、家族の、とくに母親の涙なくしては育てることはできない。
 卒業式を終えたあと、子供たちは「卒業式を終えて」という作文を持ってきてくれた。
「よびかけのとき、『ああ、がまんしよ、泣いてしまう』と思った。お母さんの顔を見た。お母さんも泣いている。その顔を見ると知らぬ間に涙が出た。お母さんに心配かけたことを、急に思い出した。校歌のとき、もうがまんができなかった。これが終われば、私の番だ。涙を止めなければと思った。とうとう自分の番になった。『ああ、どうしよう』心臓がどきどきしてきた。
 『あすへの希望を胸にいだいて』
 その言葉の最後の方、『いだいて』ところになると、今までこらえていた涙が一度にあふれて出てきた。
 目の前が海。青じゃなくて、透明の海。波がだんだんなくなって、満ち潮の海になった。
 『巣立ちの歌』の時、ひとことも歌えなかった。今までの思い出を涙とともに心の中から出し切った。」
平成3年3月


















                                    亜紀子
「 私を育ててくださったみなさん、本当に本当にありがとうございました。多くの人た ちの励ましに支えられながら、私は私なりに自分の道を歩き続けます。心から感謝をこ めて、今日私は卒業しました。」
                                    万輝子

 三月二十三日、子供たちは十二年間の温かい家族の心をいっぱい身に受けて、新しい世界に飛び立つ。子供たちだけでなく、子供たちを支え、励まし、力を与えてくださった家族の一人一人に、拍手を送りたい。
 ハーバーランドから見る、六甲の山なみ、早春の日があたり、明るく輝いていた。湊の春もすぐそこにある。