母に想う 親の生き方が子供に

 一年中で一番寒い時を迎えた。今年は暖かくそうでもないが、朝起きにくい。あと少し暖かい布団の中にいたい思いがする。
 こんな時、今は亡き母を思い出す。そうして、「母さんのうた」が自然に口から出てくる。
   母さんは夜なべをして 手ぶくろ編んでくれた
   木枯らし吹いちゃ冷たろうと せっせと編んだだよ
   ふるさとの便りは届く いろりのにおいがした

   母さんの赤ぎれ痛い 生みそすりこむ
   根雪もとけりゃ もうすぐ春だで 畑が待ってるよ
   小川のせせらぎが聞こえる なつかしさがしみとおる

 私は、小学校四年生から、朝四時半に起き、新聞配達に出かけていた。朝、目が覚めた時には、父も母もすでに起きていた。そして母は、がさがさした赤ぎれの手で薪を折り、かまどでご飯を炊いていた。
「暖かい味噌汁が待っているからね。」
と言って私と弟を送り出してくれた。母が編んでくれた手ぶくろをはめ、真っ暗な道へ飛び出して行った。
 その時の光景が今も目に映る。
 誰もそれぞれ、母に対する想いはいっぱいあるだろう。
 
私の残している子供の日記にも、お母さんについてのものが多くある。
「今日は、遠足だった。でも、わたしは遠足に行きたくないなあと思った。なぜかというと、わたしが遠足から帰って来るのが遅くなるので、お父さんの入院している病院へ行ったり、掃除をしたり、仕事をしたりするお母さんを手伝ってやれないからだ。
 わたしは、遠足へ行って楽しむけれど、家にいるお母さんはたいへんだろうなあ。わたしがお母さんと代わったら、お母さん喜ぶだろうなあ。そう思うと、バスに乗っていても、元気がなくなってしまった。
 遠足がすんで家に帰った。つかれて眠たかったけれど、家がよごれていたので掃除をした。せんたくもいっぱいたまっていたのでした。
 少し休んでから、弟と妹と遊びに行った。」
  六年 K子
 なんと優しい女の子だろう。子供であるならば、遠足というのは楽しい。他人のことなど気がつかない。
 しかし、K子は、入院しているお父さんを看病しながら、掃除や仕事に一生懸命に働いているお母さんの姿を忘れることができない。子供の優しさが心に痛い。
 母親の生きざまは、子供に大きな影響を与える。母親がどう生きているかが、子供たちの成長に変化をもたらす。物言わぬものに、子供は鋭く感じる。
「日曜日に山に行く予定だったけど、雨が降ったし、お父さんもお母さんも仕事やった から、昼まで、ボケーッとしていた。でも、昼からトイレ掃除や風呂掃除洗濯、おちゃわん洗いをやった。もう冷たくてたまらんかった。
 しみじみ、お母さんのつらさが分かった。
 でも、わたし、お母さんが、『トイレ掃除やったら、心がきれいになるよ』といわれたことを思い出した。
 今日はお兄ちゃんにも親切やったと思う。お母さんの言ったことほんとみたい。」
   五年 Y子
 母親の日々の生活が、子供の心に響き、それが子供の心となっていく。小さいときに母親から学んだこと、大きくなっても心の中に残り、自分の子供にまで影響を及ぼすことになる。
「先生、あのね。
 きのう、おばあちゃんのところからかえってきたら、おかあちゃんがねていました。ぼくがおかあちゃんに赤い車を見せようとしたら、おとうさんが、『おかあちゃんはしんどいからあかん』といいました。
 しばらくして、おかあちゃんはぼくをだっこしながら『びょうきばかりしてごめんね』といいました。そして、またねました。
 ぼく、いままでよりいい子になるから、おかあさんのびょうきはやくなおってほしいです。」
  一年 K男 
 どの子の母親についての文を読んでも、子供を思う母親の温かい気持ちを感じる。ときには、叱られて、「こんなお母さんなんかいらん」と言っていても、次の日には「お母さんは大好き」に変わる。
 温かい親の愛情の中で育った子供は、温かい愛に満ちた子供になる。親は子を思い、子は親を思う。
 私は母を七年前に天に送った。
 母が亡くなる前の晩、私は一晩中母の側にいた。ざらざらの手をじっと握りしめていた。そして、母と過ごした日々を思いだし、一人、涙していた。
 戦争中、食べるものないとき、母は自分は食べなくても私たち七人の子供に食べさせていたこと。朝早く起きだし、山にやまゆりを取りに行ったこと。ある時ひどく叱られ、地下室に入れられたこと。故郷を離れて神戸に旅立つ時、何時までも何時までも手を振ってくれたこと。後から後から浮かんできた。今、こうして在るのは母親の自分を犠牲にしてまで愛し続けてくれたお陰である。こんな思いで一晩過ごした。翌朝、勤めのため母の側を離れた。
「お母さん、今夜くるからね。」
と、言って汽車に乗り勤めに出ていった。それが最期だった。
 先日、故郷に帰り、墓前に立った。小さい雪が私の頬に当たり、とけていった。
 もうすぐ、二月、春の足音が聞こえてくる。
      (けやき 平成3年2月号)