思春期を迎える子どもたち(7)

 今日の世相は思春期の子どもたちにとって大きな問題を抱えています。
 それは、いのちが余りにも軽んじられていることです。毎日の新聞には、いじめ、自殺、殺人、交通事故等に関して記事が余りにも多いのに驚きます。人を殺してもなんとも感じない人々が多いのに驚きます。
 思春期を生きる子どもにとって、このようないのちが軽んじられている風潮の中で育つということは悲しむべきことす。思春期の子どもたちがその渦中に巻き込まれることもあります。思春期の子どもを健全に育てるためにはこの風潮をなくさなければなりません。これは親の大きな責任です。社会の大きな責任です。 それでは親はどうすればよいのでしょうか。大変難しい問題です。学校でもその責任を負わなければならないでしょう。社会もそうでしょう。しかし、まず親がやるべきことも多いです。
 まず、いのちについて考える体験をさせることです。
 子どもの生活の中で自然とのふれあいがどれだけあるでしょうか。かつての時代は自然が子どもの遊び場でした。虫や蝶、草花や魚と共に過ごすことが遊びの中心でした。ところが今日、子どもの遊びはゲーム機が中心です。生き物、即ちいのちあるものとのふれあいが余りにも少ないことは、いのちについて考えることが少なくなった一つの原因かもしれません。
 また、核家族が多くなり祖父母と共にくらすことが少なくなっていることも一つの原因かもしれません。祖父母と共にくらすことによって老いることの不自由さ、悲しさ、いのちへの不安を知ることができるでしょう。生きることの意味を考えることができるでしょう。祖父母が様々な体験を通じて生きてきた姿を見ることもできるでしょう。
 三つ目には薄れてきた人間関係が考えることができます。生きようとかんばっている病人や死者を取り巻く人々の悲しみなどを感じることもなく生活しているのではないでしょうか。
 思春期の子どもにとって大切なことは生きることの意味、いのちの大切さを心から感じさせることです。
「キリストは、わたしたちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによってわたしたちに愛が分かったのです。」ヨハネ? 3章16節