全部土台でつらいけれど運動会の練習で得たもの

 やっと、秋になった。九月に入っても三十度を越す暑さが続いた。でも、運動会の練習を始める頃より、空は秋に変わっていった。縦に長い雲が、何時の間にか横に長い雲に変わっていった。
 台風十九号が秋を運んできた。「暑さ寒さも彼岸まで」と昔の人はよく言ったもので、すっかり涼しくなり朝方は寒いくらいだ。
 しかし、日差しは暑い。子供たちはこの暑さの中で、運動会の練習に力を注ぐ。
 一年生は、喜々として動く。することすべてが新鮮だ。
 二年生は、ちょっとお兄さん。トラックを走るにも、余裕だ。
 三年生になると、集団の美だ。ボールとともに集団がゆれる。
 四年生きびきびとした動き。喜々として運動場いっぱいに思いを現す。
 五年生。男らしさ、女らしさが目に映る。もう、ティンエイジ。輪が揺れる。
 最高学年は六年生。運動会の最後を飾る、組体操。そこに、小学校の思い出をつくる。そのひとつひとつが教育だ。
 私も何度か六年生を担任した。その度に組体操に取り組んだ。子供たちも六年生になると、組体操をするという喜びをもつ。教師も一学期から積極的に子供たちを鍛える。毎日の積み重ねが運動会の日に発揮する。
 教え子の卓志君、運動会を前にして、次の文を書いてくれた。
「学年があがるにつれて、練習がきびしくなっていく。あたりまえのことだけど、とてもしんどいし、つらい。ここががまんのしどころだなんて思いながら、いつも練習をしている。
 でも、あの恐怖の組体操はほんとうのがまんがないとできないものだ。
 ぼくは、全部土台でつらいけれどがまんしている。組体操は土台があってこそできる のだ。上にのるのは、だれでもできるだけど、土台ができるのはぼくらだけなんだ。
 ぼくは、上にのる子よりもすごい力をたくわえ、そしてがまんする。そのがまんが組体操を成功させる。それだけではないいろいろなことに役立つはずだ。
 ぜったいにがまんして、全部成功させてやる。」
 彼はクラスで一番背が高い。そのうえ力もつよい。それだけではない。運動能力抜群だ。組体操の最後の演技四段ピラミット、三段タワーでは一番下だ。
 ピラミットもタワーも一番下はとてもつらい。石がひざにくいこみ痛い。背中が痛い。肩が痛い。練習のときは「いたい、いたい」の連続である。その度に叱られる。
「痛い、痛いと言ったて、痛くならないわけじゃない。がまんせい。」
先生の声が飛ぶ。歯をくいしばって耐えるより仕方がない。
彼にしてみれば、こんな痛さに耐えるより、一番上になり観衆の賞賛をあびたい思いであろう。しかし、彼は、すべて一番下の土台である。観衆には彼の姿は見えない。その見えないところで、彼は自分の大きな役割に目ざめ、そこで苦しさに耐えた。
 運動会が終わった後、彼は
「先生、きょうはいたくなかったよ。拍手が聞こえたとき、涙がでたよ。みんなして、『やったね、やったね』と言ってたよ。先生よかったね。」
と言ってくれた。私は、「よくがんばったね」としか答えることができなかった。
 真の生きる力は、見えないところで耐え抜いたときにこそ得られる。彼は、その力を自分で会得した。
 運動会は終わった。子供たちは次の新しいめあてに向かってスタートしていった。
 残暑のきびしさは終わり、もう秋の空になりきっていた。          (けやき 平成2年10月号)