思春期を迎える子どもたち(6)

Q この頃、中学生、高校生が親や祖父母を殺すという悲しい事件が起こっています。思春期の子どもをもつ親として悩むことが多いです。この子たちに親はどう接すればいいのでしょうか。
A 先月は、子どもは厳しく親の行動を見、親に対して手厳しい言葉を発することがあっても、父親や母親はそれを受け止めることの大切さを述べました。
 ところが、時には親にとって許しえない手厳しい言葉を発することがあります。
 誕生から死に至る過程において、もっとも激しい不安と苦痛にとらわれる時期が思春期です。ですから、この時期の子どもたちは心的混乱に戸惑い、不安と苦痛にあえぎ「生まれてこなければよかった。これは親がわたしを生んだおかげで味わう苦しみだ」と感じてしまいます。そこには否定しがたい思いが子どもの心の中に潜んでいます。このような激しい混乱状態にある子どもであっても「生まれたこと」「生きていること」を受け入れようとしています。この時期を乗り越えた後には「生まれてきてよかった」「生んでもらえてよかった」と、親に感謝できる状態へ至るのが通常です。
 ところが、思春期の子どもは「誰が生んでくれって頼んだ!頼みもしないのに勝手に生んだんじゃないか!」と親の心を激しく逆なでする言葉を発することがあります。この言葉に、親が強い一喝で封じ込めようとすることは、自然なのかもしれません。
 でも、親は子どもの本当の気持ちを知っておいてほしいのです。繰り返し激しく親に苦言を呈したとしても、子どもは決して本気ではないのです。子どもはそんな言葉を吐いてしまうことの理不尽を熟知しており、また親の心を傷つけると知っていながらも、それを口にしないことには鎮まらない感情に翻弄されているのです。だが、このような激しい感情も、親の厳しい一喝によって表面的には鎮まる場合も多いです。しかし、厳しい親の抑制により封じられた感情は子どもの心に深い傷を残し、キレることになる場合があります。「頼みもしないのに…」に類する言葉に直面した時には、その言葉に対立して抑圧し、諭そうとする以前に、なにはともあれその激情のあるままを飲み込んでやることが大切です。
 「そうだね。確かに本当だね。わたしたち親が望んで、お前は生まれてきてくれた。そうしてここまで成長し生きてくれている。本当にありがたくうれしいことだと、感謝しているよ」と親が心のうちにその思いを携えて向かい合うことが大切なのです。
「重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」マタイ11章28節