夏に鍛える

 今年の夏はことに暑かった。毎日三十五度を越す暑さが続いた。
 私は八年間、六甲山の裏にある大池小学校にいた。学校の標高は三百五十メートル、六甲山の四合目ぐらいか。この湊小学校のあたりからみれば、平均気温は五度近く低い。だから、夏がこれほど暑いとは、長らく感じなかった。
 しかし、この暑さの中、五・六年生の少年野球のチームの子たちは、毎日練習の時が続いた。朝の九時から十二時近くまで、練習に励む。真っ黒な額から流れ出る汗の玉が光る。泥んこのユニホームは美しい。
 休憩の一時、彼等は校舎の影に横たわる。そしてまた、練習が続く。四時間近くの練習を終える。グランドに
「ありがとうございました。」
と一礼をし、帰途につく。満足しきって去る彼等の影は短い。
 少年野球チームのメンバーが去った運動場は静かだ。誰一人姿を見ない時がある。夕刻にちらほら遊びにくる。すべり台で遊び、鉄棒にぶらさがり、池の鯉をみる。しかし、長くは続かない。多くの子供たちは一体どこにいるのだろうか。
 私の教え子に大学で今でも野球を続けている高橋君がいる。彼は小学校の二年生の時から、お父さんの遺志を汲んで少年野球チームに入り、小学校五年間、中学・高校六年間、そして現在も野球を続けている。
 その彼が、五年生の夏休みも終わりに近いある日、真っ黒い顔をして私のもとにやってきた。
「先生、まだ宿題が全然できていないのです。これから、毎日早朝トレーニングが終わっ てから友達と三人して学校に来ますから、教えてください。」
という積極的な申し入れである。
 それから、およそ一週間彼等と一緒に午前中学習をした。
 彼等は、九時半ごろ汗びっしょりになり、お弁当を持って学校にやってくる。顔を洗い、朝食の弁当を食べる。それから二時間あまり夏休みの宿題に精を出す。楽しい一時であった。
 その彼が、卒業文集にこんなことを書いてくれた。
「四年生の終わりの方で、ぼくはくたばってしまった。それで合田君とキャプテンを変 わった。とてもくやしかった。ぼくは、そのくやしさを練習にかけた。しんどくても、 腹が痛くても、夏の特訓にも毎日のように行った。そして、五年生をめざしておもいっ きり野球に打ち込んだ。
その結果、五年生からキャプテンに復帰した。五年生の時は、ホームランは打つ、準 優勝をする、すざましいものだった。しかし、そのうらには、とてもつらい苦労があっ た。早朝トレーニング、目を開けて受けられないようなノック、真夏の練習、でもそれ に耐えた。それだからこそ、六年の新人戦に優勝した。とてもうれしかった。
 昨年の十二月、少年野球に打ち込んだ五年間はついに終わった。少年野球の納会のと き、ぼくは涙がでた。それは、苦労に耐え抜いた喜びの涙だった。
 今からも、野球に命をかけて取り組むだろう。」
 彼は夏の暑さにも負けず、自分を鍛えた。早朝トレーニングを終わってからの学習、彼にはとても苦しかったにちがいない。しかし、その苦しさが自分を大きく育てるものであることを体験した。
 昨年の夏、三田学園の四番打者として甲子園を目指した。甲子園への望みはかなえられなかったが、次の大きなめあてに向かって、今も日々努力し続けている。
 夏は終わった。子供たちの来ない運動場に、もう赤とんぼが舞っている。
 来年の夏には、ぎらぎら照る太陽のもと、汗を流す多くの子供たちが現れるのを待ちたい。
    (けやき 平成2年9月号)