大好きな言葉「ありがとう」

 六月の初め、一年生と二年生が「がっこうたんけん」をした。二年生が一年生を連れて学校中を案内する。そして、先生やお兄さんお姉さんたちと握手をする。サインをしてもらう。一年生は大喜び、自分が行きたいところへ二年生を引っ張って行く。
 その一年生が職員室にいる私のところにもやって来た。
「一年○組○○○です。サインしてください」
にこやかな表情であいさつをする。私はサインをし、握手する。心地よい言葉が返ってくる。
「ありがとう。」
 私はほっとした気持ちになる。後から後から「ありがとう」「ありがとう」という言葉が返ってくる。時々その言葉が途切れることがある。すると、二年生の子が
「ありがとうというんだよ。」
と優しく教えている。
 その日一日中続いた。職員室に「ありがとう」の言葉が響いた。明るい気分の一日だった。
 私が通勤に利用するバスに、ある小学校の子供たちもよく乗り降りする。車中の行儀はあまり感心はしないが、降りる時に
「ありがとう。」
と大声で言いながら降りる。元気のよい六年生の男の子も、かわいい一年生の女の子も。一緒に乗っていてとても気持ちがいい。
 私もこの子たちと同じように試みてはいるが、小学生のような大声は出ない。
 この子供たちのお父さんやお母さんも、この子たちと同じように「ありがとう」という言葉を使えば、もっと車中が明るくなるのにと思うが、大人たちは少し難しい。
 この小学生が中学生になる。しばらくは、「ありがとう」という言葉が続くが、二学期にもなると聞こえなくなる。少しさびしい。
 四年前に教えた一年生にやっくんがいた。同じ一年生のたかくんと兄弟である。
 やっくんは、「ありがとう」の言葉が大好きな子である。給食を配った時も、テストを返した時も、お手紙を渡した時も、いつも、「ありがとう」
とにこやかに言ってくれる。
 ある時、プリントを配るのを手伝ってくれたやっくんに・私は感謝をこめて・
「ありがとう。」
と言った。やっくんは、しばらく考えて(何かを思い出そうという表情をしながら)
「いいえ、どういたしまして。」
と返してくれた。やっくんのあまりの温かさに、私は彼を抱きかかえてしまった。
 三学期の学級懇談会の後、やっくんのお母さんが
「二人が風疹にかかり学校を休んでいる時、私も風邪をひいてしまい寝込んでしまいまし た。家の仕事が何もできない状態でしたが、二人は熱があるのにもかかわらず、私の仕 事をやってくれたのです。その上、私の看病までしてくれたのです。少し元気になった ので、二人を呼び、私は子供の前に座り、少し照れくさかったのですが、
 『お母さんの看病をしてくれて、本当にありがとう。』
 と言ったのです。すると、康宏がまじめな顔をして、
 『いいえ、どういたしまして。』
 と言ってくれたのです。私は思わず二人を抱きかかえて泣いてしまいました。子供は知らぬ間に偉くなるのですね。」
と涙ぐみながら話してくださった。
 「ありがとう」と自然に言える温かい家庭が、「ありがとう」と自然に言える子供を育て、「ありがとう」と自然に言える子供が・より温かい家庭を育てる。

そのあと、一ねんせいが
「こんどはあひるをみにいきたい。」
といったので、
「つれていってあげるよ。」
とわたしがいった。一ねんせいのとみながさんが
「ありがとう。」
といってくれました。わたしはよろこんでつれていったよ。また・こんなことがあったらいいな。      
二年生のNさんの日記である。
「ありがとう」という短い言葉、自然に人を優しくしてしまう。
「ありがとう」という短い言葉、自然に自分が優しくなってしまう。
「ありがとう」という短い言葉、自然に人の優しさが分かってくる。
「ありがとう」という短い言葉、私は大好き。
                (けやき 平成2年7月号)