「おはようございます」という言葉

「おじさん、おはようございます。」
と、わざわざ管理員室の戸を開けて、一人の女の子が気持ちのよい朝のあいさつをしてくれた。管理員のおじさんも、私も自然に顔が和らぎ、
「おはよう。」
と返した。気持ちのよい一日のスタートであった。それとともに、にこやかな彼女の笑みが、疲れ気味の私の心を癒してくれた。
 私が、六年生を担任していた時、朝一番に教室に入り、
「おはようございます。」
と、大声で朝のあいさつをする男の子がいた。教室に私がいても、いなくても、友達がいても、いなくても、いつも同じ調子で朝のあいさつをする。私はその明るく気持ちのよいあいさつを聞きたくて、学校に着くと、まず教室に行く。そして彼の来るのを待つ。心ときめく時である。
 その彼が、私に
「朝、おはようございますと言うのは、気持ちいいもんやね。先生がまだ来ていなくても、 ぼく、大きな声で言うねん。一日世話になる教室にあいさつするんやねん。」
と言った。
 私は、この彼の言葉に参ってしまった。教師であるという私が考えたこともないことを、彼は実行している。私自身が教えられたことだった。
 彼の明るくて元気のよい「おはようございます」というあいさつが、七年も経た今でも、耳の奥に響いている。
 四年前、一年生を担任した。入学式の日、私は三つのことを子供たちに話した。その一つは
「みんなのかわいい口は、お友達にいじわるを言う口ではないのよ。元気よく『おはよう ございます』と言う口だよ。」
ということであった。
 初めのころは、どの子も「先生、おはようございます」の連発である。しかし、一か月も経てば、こちらが「おはようございます」と言っても知らん顔の子供たちが増えてきた。教えるだけでは子供の身になかなかつかない。
 五月の学級懇談会のときに、
「朝、一番最初に子供さんと交わす会話は何でしょうか。それが『おはよう』であるなら ば、すばらしいですね。ご夫婦で、朝一番最初に交わす会話が『おはようございます』 まらば、もっとすばらしいですね。」
ということを話した。
 その後、少しずつではあるが、子供からの朝のあいさつが多くなってきた。
「おはようございます」という短い言葉、その言葉には生命がある。人をやさしくする力がいっぱいつまっている。今日一日がんばろうという意欲が満ちている。心を明るくする光があふれている。
 朝早く、学校中を歩く。まだ誰も来ていない。でも、私の耳には教室から、学習園の草花から短い朝のあいさつの言葉が響いて来る。「おはよう、おはよう、おはよう」と、コーラスとなって。
         (けやき 平成2年6月号)