生きて、躍動する湊の子供たち

 着任して三日目、まだ、だれ一人名前を知らない私に、二年生ぐらいの男の子が声をかけてくれた。
「先生、ぼく、やまとです。よろしくお願いします」。
 一瞬の時だった。そして、そのまま行ってしまった。声をかけてくれた子の顔も覚えることなく、声もかけることなく、急いで友達の中に入ってしまった。
 それから、しばらく私は「やまと」という子は、一体誰なのか、私とどんな関係のある子なのか、考えてみた。二十三、四年前に教えた子に「大和正男」という子がいる。その子供なのだろうか。また、そのうちに運動場で会うだろう。その時にくわしく聞いてみようと思った。だが、なかなか会わなかった。
 私に初めて声をかけてくれた子が、二年生の「山戸君」であることが分かったのは、それから十日後だった。
「先生、私、五年生になったんよ。でも、ちゃんと勉強分かるかどうか心配やねん。」
 五年生になった喜びでいっぱいの女の子が、私に声をかけてくれたのも、着任三日目だった。
「大丈夫、大丈夫、先生もいい先生やし、友達もいい友達ばかりやから、心配しなくてい いよ。きっと、ちゃんと分かるように教えてくださるよ。」
と、励ましたが心配顔。
 高学年になった喜び、しかし、その反面勉強が難しくなることに対しての不安。その思いを着任してきた私にぶつけてくれた。まだ学校になじめず、不安だった私自身、この言葉によって湊小学校の職員の一員になれたのだなという思いになった。うれしい言葉だった。
「先生、今度ぼくたち、新聞を作ります。アンケ−トをとるから答えてね。」
 着任して五日目、校舎内を歩いていた私に五年生の男の子が、声をかけてくれた。グル−プで壁新聞を作ることになったのだろう。もう、積極的な活動が始まっている。
「いいよ、先生待っているから来てね。楽しみにして待っているからね。」
と答えた。子供たちはにこっと笑ってくれた。
 それから、二、三日後、後から後から五年生の子供たちがやってきてくれた。楽しい質問をしてくれる。きらっと光る子供たちの目がかわいい。
 着任してやっと一週間たった月曜日、力を合わせて掃除に精を出している様子を見にいった。三年生の子供たちが一生懸命にトイレの掃除をしている。
「みんな、すごくかしこいのね。トイレがきれいになってうれしいね。」
と仲よく掃除をしている子供たちに声をかけた。すると、
「そんなことないよ。さっきまで男の子、掃除なんかせんと遊んでいたのよ。先生、おこって。」
 なかなか厳しい言葉が返ってくる。男の子も負けない。
「先生、そんなことないよ。ぼくら、こんなまじめにやっているのよね、先生。」
「こんなにきれいにできているんだから、男の子も、女の子も仲よく一生懸命にやったんだね。」
 その言葉に男の子も女の子もにっこり、私はほっとしてそこを去った。
 着任して一週間、忙しく、湊の子供たちと話す機会が少なかった。しかし、湊の子供たちは、まだ、不安顔の私に話しかけてくれた。その一つ一つが私を慰め、力づけてくれる言葉であった。
 その言葉は生きていた。新しい学年に対する期待に満ちていた。躍動する喜びがあった。明日へ動くエネルギ−があった。
 中庭のけやきの若葉が、太陽と風に戯れ、私に語りかけてくれた。
「湊の子って、やさしいだろう。明るいだろう。生きているだろう。そして、私のように まぶしいだろう。」と。
 初夏の風が、いつのまにか、私の涙を乾かしてくれた。(「けやき」平成2年5月号)