ありがとう子供たち  おかあさんの愛

 今年入学したH君、入学当初は私と溶け合うことができなかった。彼の話す言葉も理解できなかった。
 しかし、何回か交流学級に迎えに行くうちに、彼のにこやかな表情がよみとることができるようになった。その笑みの中から「おはよう」という言葉が分かり、「おかあさん」という言葉が聞きとれるようになってきた。
 交流学級から仲よし学級へ行く間、「おはよう」「おかあさん」の連続である。まだ「せんせい」という対象は彼の中になかった。
 そして「おかあさん」という言葉の中に「せんせい」の意味をこめて話しかけている様子が、しだいに掴めるようになってきた。
 クレパスを持たせて絵を描く。どんなものを描く時も「おかあさん」の言葉で表現する。
 彼の生活のすべてが「おかあさん」に占領されており、お母さんの愛を一身に受けていることが、私にはくみとれた。
 彼にとって、真に必要なものは「おかあさん」である。子供のために自分をすべて捨て去るお母さんの愛。苦しみの中に、なおも、温かい愛を注ぐ「おかあさん」。涙を流し、この子と共に死をも考えたであろう「おかあさん」そして、H君と共にいかなる苦労をも厭わず、常に歩み続けられる「おかあさん」。
 H君が毎朝私に語りかけてくれる「おかあさん」。その中にこめられているH君の願い。「先生、ぼくはおかあさんが大好きです。なぜならば、おかあさんは僕を心から愛してくれているからです。自分を犠牲にし、苦しみも厭わず愛してくれているのです。先生も、きっと僕のおかあさんのように愛してくれるのですね。」
 私自身、とうてい足元にも及ばない。しかし、彼等と共に歩むには、H君の「おかあさん」と呼ばれるのにふさわしい者とならねばならない。これこそ私の教育の根本である。
 H君ありがとう。