「ありがとう」「ごめんなさい」が言える子(4)

 先月号では「ありがとう」「ごめんなさい」という言葉をよく使われている家族の例を通して、子どもはこれらの言葉が言えるようになるということを述べました。そのことが、子どもが成長した時に、大きな力となり、友達関係においても良い影響を及ぼすことになるとも述べました。
 しかし、今日の一般社会においては大人が「ありがとう」や「ごめんなさい」の言葉が言えない様子を経験することがあります。満員のバスに乗ったときに、こんな場面に遭遇したことがありました。「痛いやんか。ごめんぐらい言えよ」と大声で怒鳴る男の人の声、「満員やから仕方がないやんか」と応える声。後に聞こえる怒鳴りあいの声。辛い気持ちがわきます。確かに満員のバスではよく遭遇することです。このバスに子どもが乗っていたら、一体子どもはどう思うでしょうか。
 わたしも満員バスで、横の人の靴を踏んだことがあります。でも、すぐに「ごめんなさい」とその人の方を向いて謝りました。急にバスがブレーキをかけたために仕方がないことでしたが。でもそのひと言で隣の人はにこっとして「お互いさん」と言ってくださいました。
 ご高齢の方がバスや電車に乗って来られたときに、「どうぞ」と言って席を譲る若者、「ありがとう」と言って感謝の気持ちを表わし席に座るご高齢の方。このような様子を子どもたちが見ることによって、子どもは成長していくのです。
 基本的な言葉のしつけは、今までにも述べているように、日常接する家族の姿が、大きく子どもに影響を及ぼすことは事実です。かつてのように、三世代が一緒に住んでいる時代では模範とする人が多く、自然に子どもたちはしつけられてきました。
 しかし、核家族である上に、共稼ぎの家庭が多い今日では、なかなかうまくいきません。そのため、学校教育の場でのしつけが重要視されてきています。また、地域社会にも大きな責任が求められています。といって、家庭では何の責任がないわけではありません。まず、親自身が「ありがとう」「ごめんなさい」と自然に言える親にならなければなりません。それなくしては、子どもは身に付けることができません。
「あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。」
 ヨハネ 13章15節  グッドニュース2007年9月号「母と子の相談室」より