ありがとう子供たち ?. 戦いの中から得たもの 子供の可能性を信じて 泣いても嫌がっても

 2年生になったN君、新しい教室で給食を食べようとしない。私の手を引っ張り外へ連れ出す。「給食だよ」と言ってもぐいぐいと私を引っ張る。連れていったのは、1年生の時の教室。そして、座っていたところに私を連れて行き、ここで食べるのだと要求する。「ここは1年生の教室よ」と教えてもだめ。泣きわめく暢洋君を抱きかかえ、2年生の教室に連れて行く。しかし、ここより逃げだそうとする。30分の彼との格闘。ついに彼にのしかかる厚い壁を打ち破った。   N君はパンを食べはじめた。      53・ 4・14
 私のクラスの子供たちは、何ごとにも固執する傾向が強い。N君もM君もK君も、53年度途中から転入してきたMi君もそうである。
 彼等の持てる可能性を伸ばすには、彼等にのしかかる壁を打ち破らねばならない。私があきらめてしまっては、彼等の持てる可能性を引き出すことができない。泣き叫び、パニック状態におちいる時がある。しかし、子供の可能性を信じてぶつかっていかなければならない。

  何千回も続ける根気
 N君、彼は言葉が出ない。しかし、言葉は十分に与えていかなければならない。
 朝、彼を迎え「N君おはよう」から始まり、「N君さようなら」にいたるまで、彼の前に膝を落とし、両手を握り、視線を合わせ、反応はなくっても言葉を与えることが、私の毎日の大きな仕事であった。いつの日か、きっとあるであろう彼からの反応を期待しながら。
 校内の仮設歩道橋の上でN君を迎えた。彼の前にひざまづき「N君おはよう」と言葉をかけた。「オハヨ」聞き慣れない言葉が返ってきた。もう一度「N君おはよう」彼の口が動いた。「オハヨ」と。             54・10・23

 彼と接して、一年半。毎朝毎朝一日に何回も何回も呼びかけていった。入学当時は「アゲー」「アンガ」という表現しか私には理解できなかった彼だったが。
 その彼が、文字のなぞり書きが一人でできるようになるまで十か月もかかった。
 毎日毎日、彼の手を持ってやり、書かせた。シャワーという文字は大変好きであり、彼の方から書くと要求する。一日に何十回、百回を越す日もまれではなかった。
 この五月末、ついに彼はシャワーの文字をひとりでなぞり書きできた。また、四十六音もこの九月にひとりでなぞり書きできるところまでこぎつけた。入学時には、なぐり書きの線しかひとりで書くことができなかった彼だったが。
 私がもう嫌になり、投げ出したくなる日もなかったわけではない。彼が鉛筆を持って私の所に近づくのが日々が続いた。
 私のクラスにおける教育、それは、子供の可能性を信じ、泣いても、嫌がっても、幅広い経験をさせ、何百回も何千回もあきらめず、根気強くやり抜くことである。