ありがとう」「ごめんなさい」が言える子(1)

 わたしたちも子どもたちも、人と人との間に生まれ、多くの人々と共に生きていく存在です。わたしたちが、他者からの思いやりを感じた時に「ありがとう」と言い、他者を傷つけてしまった時に「ごめんなさい」と言えることは、人と人とのコミュニケーションにおいて、極めて大切なことです。もちろん、何かしてもらった後のうれしそうな表情、過失をしてしまった後のばつのわるそうな仕草だけで気持ちが伝わる事がありますが、そういった気持ちを言葉で表現できることがコミュニケーションをよりよく確かなものにしていきます。
 とくに今日、ほんのわずかなことで切れてしまい、人を傷つけたり、殺したりすることが多い現実の姿をみるときに、人と人との日常的なコミュニケーションの大切さを思います。
 確かに、この頃の子どもたちはもちろんのこと、大人たちも単純な「ありがとう」や「ごめんなさい」という言葉が言えない人たちが多いです。
 わたしの教え子の中に、「ありがとう」がすぐに言える子がいました。わたしが恥ずかしくなるぐらい、感謝の言葉を言います。給食を配ったり、お知らせを渡したりしたときにも、にこっと笑みを浮かべ「ありがとう」と言います。なぜこの子は素直に「ありがとう」と言う言葉が言えるのだろうと思っていましたが、お母さんと話しをしていく中でその理由が分かりました。そのお母さんも大変よく「ありがとうございます」と言う言葉を言われるのです。この子の家庭では「ありがとう」と言う言葉が日常の言葉となっていたのです。
 満員バスの中で隣の方の靴を踏んでしまったのでしょう。「人の靴を踏んでおきながらすみませんの言葉が言えないのか」という大声を聞く事がありました。満員バスですから他人の足を踏んづけることもあるでしょう。しかし、そのような時も、「ごめんなさい」というひと言でお互い温かい気持ちになります。わたしも時には他人の足を踏んづけることがあります。その時に「ごめんなさい」というひと言で、相手の方はにこっとしてくださいます。
 簡単なひと言を育てるには、学校だけでは出来ません。何よりも家庭が大切なのです。
「すべてのことについて、感謝しなさい」テサロニケ? 5章18節 グッドニュース2007年6月号「母と子の相談室」より