はじめに(指導記録より)

 教えても何の効果もない。何を教えてよいか分からない。今での経験が何の役にもたたない。学校に行くのが苦しい。 
寝言の連続。眠れない夜が続く。教師としてやりきれない苦しい日が続く。    53・ 4・15
 53年度にはじめて障害児学級が設置され、障害児の指導に経験のない私が、担任することになった。
 この学級には、自閉的傾向の強いN君(1年生)、M君(1年生)、K(2年生)を中心として他に三人の在籍をもつ学級であった。
 入学式、N君は母親の手を引っ張り、わめき、奇声をあげ、なかなか入場しようとしない。やっと式場に入るが、椅子に座らず、奇声を発しながら飛び回る。    53・ 4・10
 K君、今朝も自分の教室が分からず、前学年の教室の前に来る。ひとことも話してくれない。目を合わすことがない。  53・ 4・11
 一人一人の子供たちの光は、まだ見出だせない。手さぐりの一週間。子供がいる間は、職員室にもトイレにも行くことができない。  53・ 4・15
 教師生活21年を終えたにもかかわらず、これらの子供たちをどうすることもできなかった。今までの経験が何の役にもたたなかった。教師としての資質に絶望するのみであった。それだけではなかった。
 3校時、運動会の全体練習、N君を児童席に着かせようとするが、座ろうともしない。私を引っ張りどこかへ行くことを要求する。なんとか座れせようとするがだめ。仕方なく、引っ張られるままに歩き始める。校内に入り、便所が見えたとたん、私の手を離し走っていく。おしっこがしたかったのだ。N君ごめん。   53・ 4・27
 子供の願いが分からない自分自身の力のなさ。「子供の願いが分からずして、何が教師か」と嘆くのみだった。
 障害児学級を担任して一か月も経ていないのに、絶望のどん底に追い込まれた。なんとかして、この子たちを育てていかなければならない。
 ここから、子供たちとの戦いが始まった。この戦いを通して、子供たちは私に歩む道を教えてくれた。