震災を共に味わった卒業生に贈る言葉

 心に太陽を持て(二)
 第百二十二回卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。
 私は、今、担任の先生が、いろいろな思いを込めて、皆さんの名前を呼び、それに力強く応えている様子を聞き、皆さんと過ごした三年間の日々を思い出しながら、卒業証書をお渡ししました。
 三学期が始まって一週間目、さあ、これから卒業へ向かって日々の学習を充実させ、意義ある卒業式を迎えようと、いろいろな計画が話し合われた矢先、一月十七日の未明、マグネチュード七・二、震度六とも七ともいわれる地震がこのこの神戸の地を襲いました。こんな大災害が地のそこから襲ってこようとは誰も考えていませんでした。何百年に一度、いや千年に一度しか起こり得ないこの阪神・淡路大震災の歴史的瞬間にみなさんは遭遇いたしました。
 多くの家が倒れ、多くの方の命が失われました。神戸市の小学生が百八名、きょう皆さんと同じように卒業式を迎えるはずになっていた六年生が二十名と養護学校の六年生一人があの時の地震で命を失いました。
 この唐櫃は大きな被害はありませんでしたが、半壊の家もあり、また水が出ない、ガスが出ない不便な生活を二週間も三週間も経験しました。五年生の時から楽しみにしていた、スキーキャンプが中止になるというとても残念なこともありました。しかし、このよう中で、全員が元気で卒業式を迎えられたということは、生涯忘れることは決してないでしょう。
 また、私にとっても忘れることができない卒業式になりそうです。
 さて、このような中、皆さんの卒業にあたりお贈りしたい言葉はいったい何だろうといろいろ考えました。
 迷い迷ったあげく、昨年の卒業生にも贈ったのですが、もう一度「心に太陽を持て」という詩をお贈りしたいと思います。
 これは、ドイツの詩人ツェーザル・フライシュレンの作で山本有三が次のように訳しました。
   心に太陽を持て。
   あらしが ふこうと、
   ふぶきが こようと、
   天には黒くも、
   地には争いが絶えなかろうと、
   いつも、心に太陽を持て。
   くちびるに歌を持て。
   軽く、ほがらかに。
   自分のつとめ、
   自分のくらしに、
   よしや苦労が絶えなかろうと、
   いつも、くちびるに歌を持て。

   苦しんでいる人、
   なやんでいる人には、
   こうはげましてやろう。
   「勇気を失うな。
   くちびるに歌を持て。
   心に太陽を持て。」

 この詩は私が小学校五年生の時に、担任の先生から教えていただきました。日本が戦争に負け、食べるものも十分になく、何の目的を持つことのできないような時代でした。今まで使っていた教科書に、あちらもこちらも、墨を塗り読めないようにしました。今まで、先生から正しいことだと教えていただいていたことがみんな間違いであると言われたのです。大都市は空襲で家が焼かれ、お父さんやお母さんをみんな失った多くの子供たちが、学校にも行けず、野宿をせざるを得ない時代だったのです。明るいニュースなど何もありません。
 そのような時代に担任の芦田先生が、声高らかにこの詩を読んでくださったのです。
 あの戦争から五十年、神戸は美しい町、豊かな町になっていました。しかし、たった二十秒の地震でもって、焼け野原になったり、多くの家が倒れたり、大きな建造物が破壊されたりし、絶望のどん底に陥ってしまったように思いました。
 しかし、神戸の人たちは、このような中こそ「心に太陽を持て、くちびるに歌を持て」の言葉どおり、神戸の町の復興に強く立ち上がりました。多くの人は「今は、後ろばかり向いていてはだめだ。前に向かって明るく立ち上がらなければ」と大人だけでなく、子供たちも勇気を失わずに立ち上がっています。
 みなさんの卒業を祝って、私はみなさん一人一人に星野富弘さんが描いた絵と詩の絵葉書をお贈りいたしましたが、体操の選手であった星野富弘さんは、大学を卒業して中学の先生になりました。しかし、先生になってすぐ、部活動の指導中に首の骨を折り、全身の自由がきかなくなってしまいました。絶望の中にありました。もう生きていても仕方がない、死んでしまいたいと何度も思いました。しかし、ただ一つ自由に動くことのできる口を使って字を書くことを覚えました。絵や詩をかくことも覚えました。はじめて、らんの花の絵を書いた時のことを、星野さんは、このように書いています。
「よだれを垂らしながら、ありったけの力をぶつけて引く線の後ろにらんの花がひとつずつ増えていくのは絵というよりも、胸の中に開き始めた希望だった。怪我をしたことは、私にとって決してマイナスばかりではなかった。初めて描き上がった絵を見ながら思った。」
 この時以来、私たちに感動を与える、絵や詩を口だけで描いています。この、星野さんの姿をみていると、どのような時でも心に太陽を持つこと、くちびるに歌を持つことがいかに素晴らしいかを感じざるを得ません。
 皆さん、人間が一生を生きていく中には楽しいことばかりではありません。必ず苦しいことがつきまといます。今、神戸の町は、被災に会った人たちはその苦しい時でしょう。しかし、その苦しいことを切り抜けてこそ明るい道が開けてくるのです。心あたたかく、そして太陽にように明るく、苦しい時にこそ歌を口ずさむ心の余裕を持って進んでください。必ず明るい希望が開けていきます。

 次に、保護者の皆様方に一言お祝いの言葉を申し上げます。本日は、お子様のご卒業、本当におめでとうございます。六年間の小学校生活を無事に終え、本日をもちまして、お子様方を皆さんのお手もとにお返えしいたします。六年間、本校の職員が一生懸命お世話をさせていただいたわけはでありますが、十分でなかって点もあったのではないかと反省いたしています。これから始まる中学校生活は子供たちの心身に大きな変化をもたらす大事な時期だと思います。今日も唐櫃中学校から校長先生がお見えくださっていますが、どうぞ、中学校の先生方のご指導のもと、道をはずすことがないように親として十二分の支援をしてやっていただきたいと存じます。本日はほんとうにおめでとうございます。
 最後になりましたが、来賓の皆様方には、大変ご多忙の中をお出でいただき、卒業生たちに祝福を賜わりましたこと、誠にありがたく、心から感謝を申し上げます。卒業生たちは、今後とも、この唐櫃の地域で育っていく子供たちです。どうぞ、変わらぬご支援を卒業生たちにいただけますようお願い申し上げます。本日は本当にありがとうございました。
 さて、卒業生の皆さん、最後に一つの詩を読んでみます。これは皆さんが六年生にはじめて国語で学習した「赤い実はじけた」の作者、名木田恵子さんが震災にあった神戸の皆さんに当てた「子供たちに」の詩の一節です。
     テレビの画面では
     あなたたちが 笑ってさわいでいました
     インタビューにVサインをした あなた
     クスクス笑いながら
     毛布をかぶってしまった あなた
     瞬間 私の眼の奥に光がささりました
     なんと
     あなたたち子供は 光り輝くことか!

     私には 見えるようです
     いつか 何十年か後
     新しい町にたつあなたたちが
     歴史的瞬間に立ち会ったのを
     ほこらしげに 子供たちに話す姿が
     「あのときは大変だったけど、皆で力を合わせて
     ほら、前よりももっと立派な町になったよ」と

 私は、何十年か後のあなたたちに大きな期待を寄せます。美わしくなった神戸の町を夢みます。
 それではみなさんの前途に幸多かれと祈りつつ、私のお祝いの言葉といたします。
 1995年3月24日