朝会の話 98 美しい神戸を再建するために力を合わせよう

 おはようございます。久し振りの朝会ですね。
 阪神大震災以来はじめての朝会ですね。唐櫃小学校は1月31日から授業が始めることができましたが、神戸市内にはまだまだ授業を始めることのできない学校が80ほどあります。それらの学校は避難されている方が多く、講堂だけでなく教室や廊下、運動場まで入っておられるそうです。これだけ寒くなると、本当に大変ですね。また、校舎が痛んだので、教室に入ることができない学校もあります。
 しかし、どこの学校の先生も、子供たちも、大震災で壊れてしまった学校を、神戸の町をもう一度素晴らしい神戸の町にしていこうと一生懸命です。
 先日、横浜から「ヨコハマ・ストーリー」という絵本が送ってきました。そして、このようなお手紙がついていました。
 ミナト神戸の未来を作る君たちに  ミナト横浜の市民有志より 神戸市のみなさんは、今回の阪神地震によって、多くの大切なもの、かけがえのないものを失い、どんなにか気を落としていらっしゃると思います。神戸の町が、前にもまして素晴らしい町に生まれ変わるまでには、これからたくさんの汗と忍耐の日々が必要かと思います。今、神戸には全国から温かい支援の手が差しのべられています。でも、これからの神戸の復興の長い時間を考える時、一番大切なものは、みなさんの心意気だと思い、君たちへの励ましとして絵本「ヨコハマ・ストーリー」をお送りすることにいたしました。 私たちの住んでいる横浜も、港町ゆえ産業と貿易によって発展してきましたが、町全体をゆるがす、火事と大震災と戦火によって三度も町は焼け野原なった経験をしています。
 でも、私たちの先達たちはその焼け野原の中から立上がり、次の世代が生きて行ける町を何度も再生して来ました。
 この絵本はその記録です。
 私たち横浜の者たちが、どんな災害の中でもいつも希望を捨てずに生きてきたこの記録は、君たちへの励ましの言葉です。どうぞ、この絵本を読んで、個人の力を越える災害や戦争の中でも、人間は次の世代のために生きてきたことを知ってもらいたいと思います。
 横浜は、今から120年前に大火事でそして70年前に関東大震災でそして50年前に戦争で町を焼け野原にしました。でも、そのような中でも新しい町づくりに励み立派な町を作ってきました。
 神戸の町も今から50年前に戦争で町が焼け野原になってしまいました。でも、みなさんのお父さんやお母さん、そしておじいさんやおばあさんは世界でも有名な美しい立派な町を作りあげました。この神戸の町が阪神大震災のために焼け野原になってしまいました。この神戸の町をもう一度世界に誇れる美しい立派な素晴らしい町にしていくのはあなたたちです。
 どうか、この辛い苦しいこの時を大切にして、みんなで力を合わせ励まし合っていきましょう。
 ある学年でみんなで大きな被害にあった所に励ましのお手紙を書きました。きっとそのお手紙によって家を焼かれたり、倒れたり、家族をなくしたりしたお友達が読んでくださった思います。
 そして、神戸がまた新しい美しい町になった時にみなさんの手で「コウベストーリー」を作ってください。1995年2月6日