第二次世界大戦中の私の経験と丹波柏原教会                          

「主をほめたたえよ。主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみは絶えることがない。」 詩篇106篇1節
 第二次世界大戦中のキリスト教会は丹波柏原教会のみならず、日本の教会は大変な時代でした。しかし、そのような時も神様の恵みとあわれみにより守られましたことは、私にとっても、私の家族にとっても、教会にとってもすばらしい神様の祝福です。
 1941年(昭和16年)12月8日の夕方、私は父と一緒に柏原駅の西側にあった広場にラジオを聞きに行きました。わざわざ行ったか、何かのついでに行ったかは記憶が定かではありませんが。その時日本が米英に対して宣戦布告をしたことを伝えていました。父はポツンと「ああ、本当の戦争が始まった」とひと言私に話しました。
 その時から、第二次世界大戦は本格的になり苦難の時代に突入しました。
 戦争中はどこの教会も様々な制約がありました。日本伝道隊に属していたかと思いますが、すべて日本基督教団に強制的に属され、丹波柏原教会も当時は日本基督教団の一つの教会とされていました。
 礼拝堂には天皇陛下の御眞影(天皇陛下皇后陛下の写真)が掲げられていました。本当は正面に掲げなければならなかったようですが、当時の会堂の入り口の上に掲げてありました。また、讃美歌の最初のページに「君が代」の楽譜と歌詞が載せられていました。というのは、礼拝の前に御眞影に対して礼拝をし、君が代を歌わなければならないと言われていたようです。しかし、私の記憶では御眞影に対して礼拝をした記憶はありませんし、君が代を歌った記憶はありません。父の信仰が御眞影に礼拝したり君が代を歌ったりすることを許さなかったからだと思います。
 そのため、父は警察に何度も連れて行かれました。どのような取り調べがあったかは、父は戦後になっても語ろうとしませんでした。しかし、留置されたという記憶はありませんが、留置されたのかもしれません。
 父は朝早く、夜遅く部屋に閉じこもり祈っていました。父の甲高い祈りの声が近所に聞こえないわけにはいかなかったようです。近所の人からそのことが広まり、学校の友達にも広まり「鎌野のお父さんは、朝早く、夜遅くにアメリカと連絡をしている」と言われ、私はのけ者にされました。そして「スパイ。スパイ」と呼ばれていました。
 小学校(当時は国民学校と呼ばれていましたが)の講堂に軍需工場が移転してきました。
ところが、私は先生からもその近くに行くことを禁じられていました。
 ある時、軍需工場に見学をすることになったのですが、友だちから「鎌野、お前は行くな」と言われました。私は行くことができませんでした。
 放課後だったと思いますが、学年で喧嘩が一番強いといわれている子と口論になりました。「お前の親父はスパイだ」と面と向かって言われました。私は「スパイと違う」と言い張りました。私の頑固さに喧嘩の一番強い子は腹が立ち、私の頭を下駄で何発かたたかれました。私はそのまま気を失いました。気がついたときにはあたりはうす暗くなっていました。私は井戸で頭を洗いました。血の塊が落ちたことを覚えています。しかし、この事は家に帰って話すことはできませんでした。
 そのような現状でしたので、礼拝の出席者は極端に少なくなりました。
 母は鶏を飼い卵と食べ物とを交換していました。山羊も飼い、乳をしぼりこれも食べ物と交換をしていました。鶏の世話や山羊の世話は私の仕事でした。
 一番末の妹がまだ乳児だったので山羊の乳を飲ませて大きくなりましたが、私たちは鶏の卵を食べたり、山羊の乳を飲んだりした覚えはありません。
 古くからの信徒の方が数人、私たちの食べ物を持ってきてくださって生活をしていたように思います。米櫃にお米があった覚えはありません。子ども6人を含めた私たちの家族の生活は、古くからの信徒の愛によって保たれていました。
 父は仕方なく、柏原駅の南側にあった明治乳業に働きに行くようになりました。当時日曜日が休めるような時代ではなかったのですが、そこの社長の温かい配慮で日曜日の礼拝は守れていました。その社長さんはミッションスクールの出身の方であったのではないかと思います。
 今思うと、大変困難な時代の教会も神様の豊かな恵みの中で守ることができました。
 1945年(昭和20年)戦争が激しくなり、当時神戸に居られました中島彰先生御一家と小豆先生御家族(小豆先生は出征されていました)が柏原に疎開されてきました。少し教会はにぎやかになりました。
 8月15日、日本は敗戦、しかし、しばらくは友だちからは「お前の親父のせいで日本は負けたのや」と言われましたが次第に収まってきました。
 このような困難な時代においても主の働きは止まることはなく、教会は守られ、私たち家族も守られました。主の憐れみのほかありません。