お母さん間違っていませんか4 子どもために祈る

 
 先月に続き、今月もこのことについて書きます。今、私たちのするべき緊急の課題です。
 先日、わたしの親しくしている校長先生が「このごろ先生方は授業参観を嫌がるのです」と言われました。その理由は子どもが一生懸命に授業に取り組んでいるのにその授業を参観しているお母さん方は私語が多く、子どもが集中して授業に取り組めないとのことです。中には子どもの授業はそっちのけで、廊下でおしゃべりをしているのです。非常識な親が増えているというのです。
 親の非行許容性について調べた結果によると、刑法に触れるような非行には父親も母親も厳しい態度を示していますが、「万引きをする」「タバコをすう」「酒を飲む」「学校をさぼる」ことについて許容性が大きいというのです。また、様々な国際比較調査によると日本の母親は自己中心的志向が強くなってきているようです。たとえば、アメリカやトルコの母親よりも「子どものためなら」という意識が弱く、アメリカや中国、ノールウェーの母親たちよりも「子育てはつらくて苦労が多い」「子育ては楽しくない」などと答える者がかなり多いというのです。
 今日の子どもの問題をみてみると、どうもその源流は親(父親と母親)の問題があるように感じます。
 世界の希望としての子どもを育成するためには何よりも、父親・母親の考え方を変える必要が有るのではないでしょうか。
 「神なき知育は知恵ある悪魔をつくる」(ガリレオ・ガリレイ)という言葉があります。学力をつけることが子どもにとって一番大切であるという考えを捨てるべきではないでしょうか。宗教的情操を育むことをないがしろにするべきではありません。親が信仰と祈りに徹する生活をする時に、子どもは自然に神を畏れ、人を愛し、やさしさに満ちた子に成長することでしょう。
 
「あなたの心を水のように、主の前に注ぎ出せ。主に向かって手を差し上げ、あなたの幼子たちのために祈れ。彼らは、あらゆる街頭で、飢えのために弱り果てている。」 哀歌2章19節
 すべての人が、心を注ぎ出して子どもたちのために祈る者となりたいものです。