心の教育シリーズ8小さくても家事を担わせる

           
 今日、家事の機械化、合理化が進み、子どもが担うにふさわしい家事が減ってきています。また、塾通いなどで、親が子どもの生活からゆとりをなくしてしまっています。子どもが勉強している姿をみれば安心し、子どもから家事を担わせることを奪っています。
「お手伝いなんかしなくてもいいから、お勉強をしなさい」の言葉がおおっぴらに言われています。果たして子どもにとって家事を担わせることは必要でないのでしょうか。
 家庭の中で、子どもが小さいことであっても一定の家事を分担するようにすることは、親子の会話を増やし、子どもの心に、自分に与えられた役割をしっかりと果たす責任感や自立心、家族のために働いている満足感をはぐくむことになります。
 人間は、基本的に、食べ物を食べて、いらないものを排泄して生きています。身辺を整理し、身ぎれいに暮らすためには、清潔整頓のための仕事があります。幼いうちは、自分でできないことが多いですから、親が代わりにしてやります。と考えると、お手伝いとは、大人が子どもにしてやっていることではないのかなと、思います。
 みんなで食事をして、あとの皿を洗う。子どもが少しそれに参加することを、わざわざお手伝いということはないと思います。
 やがては自分でやるべきことを、少しずつやれるようになった。「大人がお手伝いをしてあげなくてもよくなってよかったね」と共感してやったらいいのではないでしょうか。
 例えば、食事のあと、お茶碗やお箸を洗うことは、朝、顔を洗うのと似たようなことです。朝起きて歯を磨いたり、顔を洗ったりすると「まあ、お手伝いがよくできたね」言いません。
 
 「落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働 きなさい」 テサロニケ人への手紙第1 4章11節