心の教育シリーズ3 子供の個性を生かした子育て


 今日家庭での教育力が低下しているとよく言われます。その理由として最も多く挙げられるのが「過保護、甘やかし過ぎの親の増加」です。
 乗り物の中でよく見ることですが、親は荷物を持って立っているのに、子どもは座って漫画を読んでいます。また、子どもが忘れ物をすると、親が学校に届けていることも多いです。
 親から考えれば、子どもがかわいそうだからという思いがあるのでしょうが、これは過保護、甘やかし過ぎなのです。座りたくても座れないという現実を経験させることによって、我慢をすることを学びます。忘れ物をしたことによって自立することの大切さを学びます。
 ところが、子どもが自分で気付き、自分で考える前にすぐ親が介入してしまうため、子どもに主体性や自主性が育たなくなってしまっています。
 それぞれの子どもには個性があります。ゆっくりと考える子どもがいれば素早く判断して行動する子どももいます。何回も失敗する子どももいれば、失敗をしない子どももいます。それが個性です。
 ところが、親は、自分のペースに子どもを押しつけたり、他の子どもとの比較に目を奪われて、速さを子どもに求めたりしています。それは、子どもの願いや個性よりも、親の願い思いが先行しているからなのです。
 かつては、子どもは自分たちの意志や手に及ばない、神から授かったという思いが強く、神からの授かり者という思いで育てられていましたが、今の子どもは親の計画的な決断のもとに生まれてきたのだという思いが強く、親の生産物になってきています。
 そのため、子どもだけで遊ぶとか、いろいろな体験をするという子どもが生きるための必要な経験が奪われたり、子どもの個性がゆがめられたりしています。そのため、わがままで自己中心的な子どもが多くなっています。
 今一度、親にとって子どもとは何かをしっかりと考え、神から与えられた存在として、子どもの個性を生かした子育てをしていくほしいものです。

「見よ、子どもたちは神から賜った嗣業であり、胎の実は報いの賜物である」                        詩篇127篇3節