卒業に思う

随想11
鎌野健一

 3月6日、私は、唐櫃小学校昭和29年度卒業40周年記念同窓会に招かれた。当時の恩師溝下宏先生、吉安実先生、養護の和田幸代先生以上3名も元気なお姿を見せられた。総員21名、実に意義深く、素晴らしい時であった。
 この日集った人たちは、戦後の混乱がまだおさまらぬ昭和24年に入学し、昭和30年3月に卒業された。ほとんどの人は、幼稚園から7年間共に学んだ人たちであった。小学校を卒業して初めて会う人もあり、ニックネームで呼び合う一幕もあった。
 戦後の食料不足をまともに受けた方がこんな話を私にしてくださった。
「今日では、昼休みに時間が一番楽しい人たちがばかりですが、私は、一番辛く、悲しい時だったんです。戦後満州から引き揚げてこの唐櫃に住みましたが、食べ物がなく、お弁当が持って行かれない状態だったのです。父親が作ってくれた竹筒の入れ物に、お粥を入れ、それをすすって昼食を済ませました。すぐ食べ終わるので一人で運動場に出て遊んでいました。」
 米不足で騒いでる今年の時代でも考えられない、当時の暮らしが思い出された。
 また、初めて知った話もあった。
「唐櫃小学校の男の子は4年生になると、六甲山ゴルフ場のキャディーとして、日曜日や休日に働きに行くことが慣わしでした。朝早くゴルフグラブを担いで、7キロの山道を登ります。先頭は4年生で朝露を払う役です。6年生になると21キロのコースをゴルファーと一緒に回ります。回ると120円貰えるのです。他の学年の人はローストボールを探します。帰り道は、先頭は5年生で蜘蛛の巣を払いながら下りて行きます。4年生や5年生は一日20円貰っていました。唐櫃のほとんどの子は、今でいうならば、アルバイトをして学費を稼いでいたのです。」
 唐櫃の子供たちのこの時代の様子を伺い知ることができた。
 30代後半から腎臓を患い、現在人工透析を週3回続けてられる方が
「わしは、よう死ねへんから生きているみたいや。でも、40年ぶりにみんなに会いたくて来たんや。みんな、わしの分まで長生きしてや。」
と現在の心境を語られた。集った者は一瞬しゅんとしたが、
「何言うとるんや、頑張って生きな。」
「頑張れ、頑張れ、応援するで。」
と励ましの声が続いた。同級生の温かいまなざしが、彼に注いだ。
 担任の先生に頬をたたかれたこと、お弁当を取り上げられたことなどが懐かしく語られ、始終和やかなうちに4時間の会が終わった。
 同じ土地に住み、同じ学校で学んだ人たちの温かさ、胸が熱くなる思いで、私はこの会を去った。
 
 この春、唐櫃小学校巣立つ117名の子供たちは、昭和63年4月に入学した。彼等は、昭和から平成に変わった歴史的な時期をこの学校で過ごした。
 
 卒業式を迎えるたびに、私は共に勤務していたある女の先生のことを思い出す。その先生、長男の小学校の卒業式に出て、学校に帰って来られた時、眼が真っ赤だった。私は失礼だったが、「どうしたの。」と聞いた。その先生は「卒業式の時、子供を見ていたら、涙が出て、涙が出てしかたがなかったのです。恥ずかしいかったけれど、ずっと泣いていました。」と話してくださった。私は、自分の子供の卒業式に一度も出たことがないせいか、この先生の気持ちが十分に分からなかった。
 ある時、その先生から次のような話を聞いた。
 その先生が長男を出産されたのは12月だった。まだ、今のように育児休暇がない時だったので、出産してから8週間たてば、出勤しなければならなかった。でも、ご主人の郷里も、その先生の郷里も遠い。その上、赤ちゃんを見てもらう所もなかったので、しかたなく2月より、8週間の赤ちゃんを四国の実家に預けなければならなかったという。春休みまでの約1か月、乳房の痛みだけでなく、心の痛みのため、毎夜涙が絶えなかったという。
 辛かったのはそれだけではなかった。時には、熱のある子供を家に一人で寝かして、勤めに出て行く時も何度もあったという。
 子供は、家族の特に母親の涙なくしては育てることはできない。
 
 3月24日、子供たちは12年間の温かい家族の心をいっぱい受けて、新しい世界に飛び立つ。子供たちだけでなく、子供たちを支え、励まし、力を与えてくださった家族の一人一人に、拍手を贈りたい。
 温故の園にある白梅も満開、ふきのとうも大きく伸びてきた。唐櫃の希望に満ちた春は、もうすぐそこまで来ている。
 
編集後記
 2月の終りに、3年生の子供たちのおじいさん、おばあさんを迎えて、おじいさんやおばあさんの子供時代のことの話を聞かせていただいたり、遊びを教えていただいたりしました。子供たちは、寒い講堂でしたが、耳を澄まして聞き、楽しく遊びに興じていました。3年生の子供たちは、お礼の意味をこめて、「かさこじぞう」を演奏しました。
 それに対して、子供たちに温かいお手紙をいただきました。その一部を紹介させていただきます。
 
 「2月25日は、昔の話を聞く集まり呼んでいただいて、ありがとうございました。かさこじぞうのお話はよく知っていましたが、演奏やよびかけで聞くのははじめてでした。
 美しい笛の音が心に響いてきました。そして、真っ白な雪景色が目の前に広がるように思えました。
 先生の指揮、ピアノの演奏もとても素晴らしいでした。そして、みなさんの声もすきとおっていました。雪の原っぱ、じいさまの 様子、ばあさまの姿、餅つきのまねごと、まるで目の前に広がっているように思えました。
 元気いっぱいのみなさんと楽しく遊べてとてもよい一日でした。本当にとびきり上等のしあわせをいただきました。また、『どうもありがとう』のお手紙をいただき、ありがとうございました。」
「3年生のみなさん、十分な話もできなかったのに、心のこもった お手紙をいただきありがとうございます。みなさんは、よき時代に生まれてよかったね。先生のお話をよく聞いて勉強に励んでください。おばあちゃんは勉強のできなかった時代でした。みなさんは、もっともっと勉強に励んでよい人になってください。おばあちゃんもまだまだ元気でがんばります。」
「3年生のみなさん、先日は心のこもったお礼のお手紙、ありがとうございました。あれこれとお話をしたかったのですが、あのようなお話でもしっかり聞いてくださってありがとうございました。かさこじぞうの歌、とても上手でしたよ。じっと聞き入ってしまいました。思いやりの心でかさこじぞうさんに話しかけ、見守ってあげている様子が目に見えるようでした。真心がこもっていて大変上手でした。参加できた半日楽しい日を送らせてくださってよかったと思っています。テレビやファミコンに夢中になり、体を悪くしないよう、元気な子供になり、日本を背負って立ってくださいね。」
 開校120周年を迎えたこの1年、私たちは、唐櫃の人たちからいろいろな話を聞き、多くのことを学びました。また、奥山川に出ていったり、唐櫃の自然にふれたりして唐櫃の素晴らしさを学びました。その上、唐櫃の人たちからのお手紙を通して、私たちに温かい愛を注いでくださっていることも知りました。とても、素晴らしい1年でした。ありがとうございました。 
 
 平成5年度の「やまびこ」をこの号をもって終ります。1年間温かいお励ましをいただきありがとうございました。   鎌野
 
神戸市立唐櫃小学校学校だより「校長室の窓からやまびこ」1934年3月22日発行3月号より