生きる美しさ

随想9
鎌野健一
 
今年のお正月は暖かかった。気持ちのよい三が日であった。3日に、私は少し太り過ぎた体重を減らすために、標高340mの高取山に登った。(唐櫃小学校の標高が346mだからそれ程高くはないが)南に広がる神戸の港、そして神戸の町々、そして瀬戸の海、西には開けゆく西神ニュ−タウン、東には六甲の山々、その続きには古寺山の峰も明らかに見えた。
新しい年、山の頂きから見るこの景色に深い感動を覚えた。
昨年一年間は、国内では変革の年であり、不況、不作の年であった。校内では、開校120周年という記念すべき年であり、同窓会設立という記念する年でもあった。
新しく明けた1994年、平成6年、ただ年が改まっただけだが期待に満ちあふれる思いである。
いつもと変わらぬ日の出だが、元旦の朝、多くの人はこれを見るために朝早く起き山に登り、感動をもって見る。
元旦に開く新しいカレンダ−、胸のときめく思いがする。新しい年の希望にふるえる。
新しいということは、それは、私たちに大きな感動と期待と希望を与えてくれる。すばらしい贈物である。
 
私は、今年も1冊のカレンダ−を買った。私はこのカレンダ−を買い始めて6年目になる。それは「星野富弘詩画集カレンダ−」である。とてもすばらしいので毎年何人かの親しい方にこのカレンダ−を贈っている。そして大変喜ばれている。本校の先生にも毎年このカレンダ−を買われている方がおられるとのことであるが。
昨年からこのカレンダ−を校長室に掲げているが。ちなみに、この「やまびこ」に1枚目にあるカットはすべて星野富弘氏の詩画集の中から選び出したものである。
この星野富弘氏は、中学校の体育の教師であったが、不慮の事故のため自由を失い、わずかに動く口に筆を加え、詩画を描き続けている。
そのカレンダ−一枚一枚に、星野富弘氏の口で描かれた花と詩がある。生きるものの悦びが、生きるものの哀しさが、花弁の一枚一枚から立ち昇り、澄みきった心の眼で命を見つめ、自然をいとおしむ著者のメッセ−ジが、私の心の中で、暖かい愛のつぼみがほころんでくる。
 
もう10年も前に、NHKTV学校放送「明るい仲間」の番組で、星野富弘氏が障害と闘いつつも詩画に楽しみを見出だして筆を口に加えて描いている姿を子供たちはみた。子供たちは、その姿を感動をもって見つめていた。
 
「体が不自由なのに、痛みを耐えて、自由に動かすことのできる口だけを使い、すばらしい絵や詩を描いている。体が丈夫で幸せにくらしているぼく。だのに、すぐあきてしまい次から次へと自分の好きなように過ごしている。そういう自分がとてもはずかしい。」
5年  T男
子供たちは、星野さんの姿を自分の姿と重ねてみた。そして、自分の生き方のあいまいさ、弱さを思い知った。
「星野さんは『今は、前にある花しか見ることができなくなった。でも、自分は何もできなくなったのではない。眼が見える。耳で聞ける。字だって口で書ける。』と思ったのだろう。私は星野さんの生き方を見て、心がかわった。」
5年  M子
とM子はさりげなく書いていた。M子の前には、多くの苦難が待ち受けていた。しかし、生きる美しさを知った。だから、今も彼女は力強く生き抜いている。
 
三浦綾子氏と星野富弘氏の対談「銀色のあしあと」(いのちのことば社刊)の口絵に木瓜の花の絵とともに次の言葉が書かれてあった。
「わたしは、あなたのみおしえを喜んでいます。苦しみに会ったことは、わたしにとってしあわせでした。  詩篇119」
三浦氏も星野氏も病とか障害とか様々な苦難と闘われている。その中で感謝を持って生き抜き、自分の使命を果たされている。
どのような中でも生きること、それはなんと美しいものだろう。

編集後記
新年おめでとうございます。(遅れましたが)本年もどうかよろしくお願いいたします。昨年は開校120周年という記念すべき年でした。何かと忙しい思いをしました。今年は落ち着いて、日々の歩みをさらに充実していきたいと願っています。
この「やまびこ」を保護者の皆様にも開放したいと思います。感想や子供のことなどについてご投稿ください。   鎌野
神戸市立唐櫃小学校学校だより「校長室の窓からやまびこ」1994年1月21日発行1月号より