自然と共に生きるよろこび

随想8
鎌 野 健 一
 
雲一つない秋晴れの開校120周年記念日の朝であった。
前日の土曜日は、真黄色に色づいていた学校前の銀杏並木の葉も全部散ってしまう程のひどい雨風であった。運動場での記念の集いを計画していた私たちに、一抹の不安が過ぎった。しかし、PTA役員や理事、保護者をはじめ地域の方々のこの日の全ての行事を成功させようとする熱意が天に通じないわけはないと、私は確信していた。
素晴らしい朝であった。学校前の道路の銀杏の落ち葉も夜の間に掃き取られ、西門に入る坂道も朝早くから掃かれていた。校舎内は前日の内にきれいに磨かれていた。
 
朝早くから登校する子供たちの顔もやさしく輝いていた。
来賓控室に活けられた花は、唐櫃の自然がいっぱい満ちており、お客さんの感嘆の声が続いた。
唐櫃小学校の開校120周年を迎えることのできるよろこびで胸がいっぱいになった。
私は記念の集いで、「この唐櫃小学校がいつまでも栄えるために私たちのするべきことは、この唐櫃の自然と仲よくなり、この素晴らしい唐櫃の自然を守っていくことです」と語った。
また、PTA会長芝さんは「唐櫃の自然を汚すことなく美しくするために一人一人気をつけましょう」と語られた。来賓代表で話をされた1940年(昭和15)年3月に唐櫃小学校を卒業された尾下さんは「校歌にもあるように、昔の唐櫃川は清く澄み切っていました。しかし、今の唐櫃川は汚れています。どうかみなさんの力で昔の唐櫃川のように澄み切った川にしてください」と語ってくださった。
 
この唐櫃は素晴らしい自然の恵みに育まれている。広い空、澄み切った空気、緑あふれる山々、秋には錦織り成す山々、六甲から湧きだす清水、夏には蛍飛び交う川がまだある。
この中で生きる私たちは本当に幸せである。これら素晴らしいものが無代価で与えられている。それが、限られたものではなく、無尽蔵に与えられているのである。豊かなる自然の恵みである。その中で日々生きられるということは、何という大きなよろこびであろうか。
私たちは、この美しい自然をそのまま次の世代に譲っていかなければならない。心豊かな子供たちを育てていくためにも、豊かな自然は必要なのである。
こんな思いを心に秘めて、私は子供たちに語った。この思いは私だけではなかった。唐櫃に住む、唐櫃を愛する人たちがすべて、この願いを訴えたかったに違いない。
 
開校120周年記念愛唱歌「唐櫃が好き」を心いっぱいのよろこびを込めて披露した。唐櫃全体に大きく響いた。感動の一瞬だった。「大人になっても忘れないそんな唐櫃が君も好き」と唐櫃の山々にこだました。
 
記念すべき開校120周年記念日のすべての行事は、美しい唐櫃の自然の中で終えた。
 
編集後記
開校120周年の記念行事、記念の集い、記念音楽会、同窓会発足総会、同窓会発足記念祝賀会、そして郷土学習誌「唐櫃」の発行などの全てが成功裡に終えることができました。多くの方々の温かい思いとご協力を心より感謝いたします。
終わってから何人かの先生方に記念の冊子などをお送りいたしました。沢山の方々からお礼のお手紙をいただきました。その中のお一人、第13代校長吉原和夫先生のお手紙を紹介いたします。
 
唐櫃の山々の紅葉が美しいことと思います。
このたび唐櫃校120周年の記念式、同窓会設立総会が行われ、まことにおめでとうございます。記念のいろいろな資料をお届けいただき厚くお礼申しあげます。郷土学習誌「唐櫃」を拝見し、よくもこれだけの内容を盛ることができたと敬服しております。
おいそがしい方々のご尽力のほどしのばれます。ことに唐櫃を思う心情がこもっていると拝察されます。ほんとうにいいものができました。いつまでもみんなに親しまれると思います。
私がお世話になったのは昭和41年度から3年間で学校移転の時でした。当時は市の団地開発の初期で新聞が唐櫃のことをしばしば取り上げました。その記事は学校日誌に貼りつけたと思います。
私どもが植えたカラマツの苗木や卒業記念樹のケヤキが生長している写真を見て懐かしく思いました。PTAの新聞にも私の書いた題字をいまだにお使いいただき恐れ入ります。
唐櫃校をお守り下さっている皆様のご努力に感謝しいっそうのご発展を願っております。
平成5年11月20日
吉原和夫
 
温かいお礼のお手紙うれしいことです。ありがとうございました。 12月号から、「今、学校で」シリ−ズを載せます。今、学校ではどんな学習をどのようにしているのかを紹介します。特に今年度は唐櫃の地域の学習に取り組んでいます。ご意見を是非お聞かせください。それではよいお年をお迎えください。
鎌野
神戸市立唐櫃小学校校長だより「校長室の窓から やまびこ」1993年12月17日発行12月号より