唐櫃が好き

随想7
鎌野健一

秋晴れの体育の日、上唐櫃山王神社の秋祭りがあった。
秋の収穫の喜びをみんなで喜び合うお祭りである。何年か前は収穫が終わった10月26日であったそうであるが。
今年は稲の収穫がもう一つであったようだが、その分、山の幸の収穫がよかったそうだ。何年か振りに、唐櫃の山で収穫した松茸を神前に供えたという。
御輿を担ぐ若者が少なく、苦労をされたそうだったが、それでも20数人もの唐櫃の人たちが御輿を担ぎ、上唐櫃の家々を巡り回った。
私も、稲の穂が垂れ、柿が実り、秋の風物が満ちている唐櫃の里を御輿と共に歩いた。昔から唐櫃を愛する人たちの温かい持て成しが、御輿を担ぐ若者に、御輿の世話をされる方々に、共に祝う人々に振舞われる。丹波の田舎で育ち神戸に出てきた私にとって、40年ぶりの秋祭りであった。懐かしさと温かさ、それに豊かさがいっぱい私の胸に満ちた。
山王神社の神前で歌われる、昔から唐櫃で歌い継がれてきた「御輿歌」、その哀調こもったメロディ−に心が引かれる。
唐櫃のよさと歴史の深さを感じる一日であった。
 
下唐櫃山王神社にも、歴史の深さを感じる伝統行事がある。
今年の節分の夜、「東天紅の式」の儀式が行われた。寒さの厳しい夜であったが、境内には火が焚かれ、集う人々にお神酒とお餅が振る舞われる。
神前では、厳粛に祝詞があげられ、男の子が二人が鶏の鳴き声をまねる。雄役の子が「とてころ」と呼ぶと、雌役の子が「くく」と答える。3度唱えて交わされ儀式が終わる。今年の豊作を祈願する儀式でもあり、立春を祝う儀式でもある。実に古式豊かな行事である。厳しい寒さの中であったが、ほのぼのとした温かさを感じる一時であった。
また、元日の朝には「追儺の式」が執り行われる。その中でも弓打ちの古事はめずらしいものであるという。是非一度見てみたいものである。
 
多聞寺で2月11日に、古い時代そのままの服装で執り行われる「お塔の式」の儀式とともに歴史の深さを感じさせる。
唐櫃のよさを感じさせる様々な伝統行事がここにはある。
 
初夏の半日、逢ヶ山に登った。頂上までは登れなかったが、唐櫃の美しい自然に満ちた山であった。ササユリのつぼみがあちこちに見られ、この辺りにしか見ることのできない食虫植物のアリマウマノスズクサが独特の花を咲かせている。ツチアケビ、キンランなどあまり目にかからない植物が見られた。
山の上から見る下唐櫃の家々そして唐櫃台、若葉のにおいが満ち満ちていた。高校時代、故郷の山頂から遥か下を走る蒸気機関車に引かれた列車を見送った時の思いが甦ってきた。知らぬ間に景色がにじんでぼやけてきた。
 
日曜参観の代休日、古寺山に登った。うっそうとした急な坂道を登る。中腹までは何も見えない。ただ黙々と登る。坂道が緩やかになる頃、急に北側の視界が開ける。そして唐櫃台から下唐櫃、有野そして藤原台、遥か向こうに三田の丘が望める。ビデオカメラを覗く。空中から唐櫃を見ているようだ。
ここで一休みし、頂上を目指す。薄暗い杉林の中を歩く。坂は緩やかになっているので、登りやすい。ギンリョウソウが5、6本生えている。別名ユウレイダケというだけあって薄気味悪い。
昔は節句ちまきに巻くヤダケの葉を採りに、よく登られたそうであるが、今は登る人も少ない。一人では登れないなあという思いがする。
登り始めて1時間足らず、やっと頂上に着く。大きな岩があちこちに転がっているが、木がうっそうと茂り何も見えない。何気なく西側の木の茂みを抜けてみる。パッと視界が開ける。素晴らしい景色だ。
南には六甲の山が眼の前に迫る。西はすぐ下に上唐櫃、そして大池、向こうに谷上、そして鈴蘭台菊水山そして高取山まで見える。天気が良ければ、須磨の海まで見えそうだ。
ここに多聞寺があった理由が分かりそうな気がした。
 
雄大な唐櫃の自然。緑の山々に抱かれて長い歴史を歩み続けてきた唐櫃の人々。
 
今年、唐櫃小学校は開校120周年を迎えた。
緑と歴史と温かさに満ちた唐櫃、私は好きだ。

編集後記
1873年(明治6年)11月14日に開校した唐櫃小学校は、今日120周年を迎えました。
私がこの唐櫃小学校に赴任して以来、この唐櫃小学校の歴史についていろいろと古い記録を調べたり、卒業生の話を聞いたりしました。また、地域を歩き回りました。唐櫃の山にも登りました。その中で、唐櫃の素晴らしさに引かれました。それとともに、唐櫃小学校開校以来、地域の方々の温かいご援助があったことも知りました。素晴らしい唐櫃、私は大好きです。
唐櫃小学校の思い出、ありがとうございました。これからも載せていきたいと思っています。是非、ご投稿ください。
鎌野
 
神戸市立唐櫃小学校学校だより「校長室の窓から やまびこ」1993年11月14日発行11月号より