朝のよろこび

 
随想3
鎌野健一
 
初夏の朝はここちよい。山の木々の緑が目に映える。少し冷気を含んだ空気が頬をなでる。勤めに急ぐ人々、学校に通う学生たちが笑顔が光る。
朝、校門に立って1年2か月、子供たちとの出会いが待ち遠しい。
 
「おはようございます」でスタ−トする一日、子供たちの顔も明るい。いっぱいの期待をこめて校門をくぐる。
大きな声で朝の挨拶をする子、うつむき加減で挨拶をする子。きちんと立ち止まり、ていねいに頭を下げ挨拶をする子。子供たちの挨拶は様々である。
「校長先生、ぼく大好き」といつも体を私にくっつける子がいる。軽く肩に手を置いてやり「先生もA君大好き」と笑みを浮かべる。
4年生、2年生そして1年生の3人兄弟で通学する子がいる。昨年は弟を少しあらっぽく引っ張りながらの通学だった。でも今年は妹を優しくいたわりながらの通学である。母親からの言い付けをしっかりと守り、けなげなおにいちゃんぶりを発揮している。
遠くから大声で「おはようございます」と走りより、私にジャンケンを挑む男の子、彼の意欲にこちらが圧倒される。
私が南門にいても、東門からわざわざ挨拶をしにくる3人の女の子、彼女たちもジャンケンが大好きである。彼女に負けるためにいろいろ私は苦労する。勝ったときの彼女の笑みを見るとほっとする。
「校長先生、握手」と手を差し延べてくる2人の1年生。右手だけでなく、左手も要求する。しっかりと握ってやると、にこっと笑って「おはようございます」と言う。温かい2人の手のぬくもりをしっかりと受け止める。
大きな6年生のおねえちゃんに手を握られてきた1年生、もう自分で堂々とやってくる。
まだ、自分から「おはようございます」と言えない1年生の女の子、6年生のお姉さんに教えれて「おはようございます」と少しうつむき加減で挨拶をする。その女の子が昨日にこっと笑って「おはようございます」と言ってくれた。私はうれしくて頭を撫でてあげた。にこっと笑って応えてくれた。よろこびいっぱいの一時である。
朝の練習を終え、急いで登校の集合場所に帰って行き、登校班の班長となって再び登校する6年生の女の子、「ごくろうさん」と労う。彼女はにこっと笑って応えてくれる。卒業まで彼女は自分に与えられた役割を果たし切るだろう。
3年生の3学期、登校しにくく、何度か無理に引っ張って校舎内まで連れていった女の子、4年生になって、毎日にこっと笑みを浮かべて登校してくる。彼女のその笑みが私に大きな力を与えてくれる。毎朝の喜びである。
その他、昨年は何度か担任が家まで迎えに行っていた、2年生の女の子、そして男の子、みんな元気で校門を入ってくれる。
この子たちに会える喜びを毎朝、いっぱいに私の心にたくわえる。満ち足りた朝の一時である。
 
朝の喜びはこれだけではない。北高校の生徒たちと会うのも楽しみだ。
昨年はあまり声がでなかった高校生だったが、今年は大きな声で挨拶をしてくれる。にこっと笑って答えてくれる。運動部の生徒は力強く挨拶を交わしてくれる。
「社長、毎朝ご苦労さんです。」
「昨日は、オリックス勝ちましたね。」
と声をかけてくれる子もいる。全く知らない高校生だったが、馴染みの顔を見せてくれる。
また、小学生の子と同じようにジャンケンを挑みに来る子もいる。こちらが負けると、大声で「勝った」と叫ぶ。あどけない高校生。親しみがぐっと増す。
前任校の大池小学校で教えた子が通学してくる。りっぱな高校生だ。しかし、1年生のとき
「校長先生がなんぼ注射せえと言っても、絶対せえへん。」
と言って泣き叫んだ女の子、あどけなさを今も感じる。
 
初夏の朝、今日も子供たちの笑顔を見たくて校門に急ぐ。道端で摘んだタンポポを私の手に握らせてくれた。
「校長先生、おはようございます。」
 
朝のよろこびを、日々私に与えてくれる子供たち、その笑顔を絶えさせてはならない。
 
編集後記
この唐櫃に蛍の季節がやってきました。美しい唐櫃、この環境をいつまでも守りたいものです。幼い日、蛍を追って何度か川に落ちたことを子供に語りました。
鎌野
 
神戸市立唐櫃小学校 学校だより「校長室の窓から やまびこ」1993年6月14日発行 6月号より